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kenchicjunreiのブログ2nd

Author:kenchicjunrei 日々の生活の関心ごとと建築とか、投資、金融政策、支配層のこと、などについて書いています。 記事の多いカテゴリー: 歴史・日本建国 (26)、核と人工知能 (38)、金融と起こされる事件 (45)、金融経済投資 (44)

12月11日に追記あり・4000年前の縄文時代の英彦山の金の原台地には、やりがんなで仕上げられたであろう、宮殿が建っていた。そこに絹を織っていた、縄文の卑弥呼、瀬織津姫が住んでいた、らしい。その宮殿、やりがんな、とは。 

霊山英彦山信仰の門前町であった筑豊、添田町。添田町の台地に広がる金の原遺跡。中元寺から川崎町上真崎にかけて南北三キロに広がる。東は庄原遺跡に接する。添田町史によると、およそ4000年前の縄文時代のこの金の原台地には、やりがんなで仕上げられたであろう、宮殿が建っていた、らしい。4000年前の縄文時代に絹を織っていた、縄文の卑弥呼、瀬織津姫と織姫たちが、そこにいたかもしれない。  金の原遺跡に接する、庄原遺跡...
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古事記、日本書紀に書かれた、神代の最初の王、『天御中主』とは? イザナギの国生み以前に、倭(やまと)の国造りした、『倭成す大物主』とは?なにものか。 

古事記、日本書紀では、王と妃、イザナギ、イザナミ、が日本列島の最初の国生み神生みをする。それは紀元前4~3世紀の出来事である。遠賀湾入り江の、おのころ島(たがやま)に降りて国見をしたイザナギ。おのころ島の近くの、遠賀郡水巻町の立屋敷遺跡に、高床式掘立柱建物の柱跡。推定:立屋敷遺跡の地に、伊邪那岐命の八尋殿跡の柱跡があった。、イザナギは、おのころ島があった遠賀湾の浦安の地に実在した、と推定される。立屋...
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法隆寺、東大寺、薬師寺、三十三間堂、桂離宮、日本文化の粋とされる建物にことしも春が来て晩秋が来た。千四百~千二百年前の太宰府と豊の國の、これら法隆寺、東大寺、三十三間堂におなじように晩秋が来たように。 

■京都 奈良 大阪 観光https://youtu.be/FvsWxwAcWDA■奈良 「東大寺」https://youtu.be/deKYm8kOhx4奈良 「東大寺」Todaiji Temple in Nara17,121 回視聴?2015/04/095:24SouthernValleyDiaryチャンネル登録者数 5720人奈良東大寺。桜の花が散る奈良公園から南大門を抜け、大仏殿で盧遮那仏を拝観。その後は二月堂の舞台から奈良の街を遠望します。2015年4月撮影■奈良 法隆寺https://youtu.be/juggOKCfvDEJG 4K 奈良 法隆寺 ...
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九州から近畿へ、火山災害から見た、神代の王の國から平安までの、避難民の人の流れ。 

神代の王の國はすべて九州北部の同一の國 神代の王の國に、やまと朝廷の國に、九州の火山(由布岳、鶴見岳、九重山、阿蘇山、霧島、桜島)噴火が、長期に何度も、襲う。(近畿の王の國、近畿のやまと朝廷の國に、地震はあっても火山噴火の被災の記録はない。)■8世紀の噴火記録  鶴見 VEI・1  霧島 VEI・3  桜島 VEI・4平城京に、鶴見 VEI・1の石が飛んできた続日本紀宝亀三年772年五月 鳴響六月 京師に石が降る豊国の藤原京は...
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やまと王朝は神武により九州豊国にはじまり、590年から710年にいたっても筑紫の太宰府が日本の首都(皇都)だった。にもかかわらず、大和王朝は初めからもとから奈良にあった、それがありつづけている、歴史詐欺が成立する、からくり。 

九州大和王朝論を最初に言い出したのは今は死去された古田武彦氏ですが、古田武彦: ja.wikipedia.org/古田武彦その古田武彦氏の許に初期には居た福永 晋三氏が、その九州ヤマト王朝を、豊国(現・福岡県田川郡香春町)に鎮座する香春三山のふもとにあったと、一段と明確に比定しました。「香春は国のまほろば」 福永晋三 20161103 https://youtu.be/VzNptRE2QaA そして、この「ヤマト王朝=香春町の香春三山のふもと」を、『元祖・...
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