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日本の縄文に始まり法隆寺に極まった木組み伝統工法は、コンクリートと鉄の近代建築死滅後の、最も新しい未来の工法、世界の建築界をけん引する、ポストモダンの切り札建築工法、なのです。
■自然と生きる~伝統構法~
無理がない自然な感じで、最も自然なやりかたで、釘や金物を使わないで、土と竹と木と石を使って、法隆寺と同じ工法で、伝統木組み工法で、家を作っています。
もの運ぶのだって車あるし、ものをつくるのだって機械をつかって、
昔にくらべたら便利になっているはず。たくさんのエネルギーを使って、効率よく便利な生活になっているはずが、なにかがまちがって。かなり無駄をやってきて。
それで家を手にいれて、ひとは平和で幸せな気持ち、豊さを感じているのかというと、そう思っているひとは、それほどはいない。それで昔とおなじ自然な家をつくろうとすると、今はとんでもないお金がかかる。家を手に入れることに、とんでもない浪費をやってきて、とんでもなくまちがってしまっている気がする。
日本の伝統的なもの、家についての知恵は、深いものがあって価値が高いものであって、これから未来にも必要とされ、おおくのひとに理解をひろげられたらいいなと、・・・・。
https://youtu.be/SbgEWq9-83M
自然と生きる~伝統構法~
17:44
Matsumoto Hikaru
2013/05/05 に公開
伝統構法による木造建築の設計施工&家具のデザイン製作のドキュメンタリー。
HP→ http://www.seyseysha.com/
伝統構法木造建築設計施工 惺々舎 棟梁 深田 真
東京事務所 : 〒206-0025 東京都多摩市永山2-3-3-606
宮城事務所・工場 : 〒989-0513 宮城県刈田郡七ヶ宿町上町尻7-4
*惺々舎は全国どちらへでも出張施工しております。
インスタグラム
https://www.instagram.com/seyseysha/
seyseysha
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木造伝統構法 惺々舎 惺々舎(せいせいしゃ)は、棟梁 深田 真が主宰する、伝統構法による木造建築を手掛ける工務店です。 木組みと土壁と自然素材により日本家屋を設計施工しています。 全国どちらへでも出張施工いたします。
www.seyseysha.com
■伝統工法「継手」の、金輪継(かなわつぎ)
https://youtu.be/nXrIg7mjXVU
金輪継(かなわつぎ)・伝統的継手の動画①_2014.1.7_【小林建工の仕事】
3:34
次世代に繋ぐ伝統建築【先人の知恵を記憶する】
2014/01/07 に公開
チャンネル登録 2.6万
見どころ
0:09~栓が入っていくことで両方の桁を引き付けつなぎます。
1:30~ぴったりと収まるところ
1:55~両方から持ち上げても大丈夫。1本物と同じようにクレーンで吊りあげることも可能
3:14~上側を1分づつずらして刻んでいます。
"金輪継(かなわつぎ)とは、木造建築における継手のひとつ。同形の両部材の口にT字形の目違いをつけて組み合わせ、栓を差して固定する。伝統的継手の中でも強固なもののひとつで、あらゆる方向に強度が得られるため、柱や梁、桁をつなぐために用いられる。"
wikipedia引用
■「伝統工法 仕口の刻み」
https://youtu.be/QJ5voZfUNbo
住まい塾 》スゴイ! 手刻みの技 「伝統工法 仕口の刻み」
6:13
sumai -jyuku
2016/04/20 に公開
伝統工法による通し柱の仕口の手刻み 本来の大工さんの仕事 住まい塾映像部 住まい塾HP:https://sumai-jyuku.gr.jp/
■伝統工法の上棟(尾上組)
https://youtu.be/YUiM3ritCuc
伝統工法の上棟(尾上組)
16:44
adkohken
2017/03/24 に公開
■クサビ打ち・清水寺と同じ伝統工法の貫(ぬき)工法
https://youtu.be/6_NkIOLlmrc
クサビ打ち・清水寺と同じ伝統工法の貫工法_【小林建工_061】
1:38
次世代に繋ぐ伝統建築【先人の知恵を記憶する】
2014/06/12 に公開
クサビ打ち・清水寺と同じ伝統工法の貫(ぬき)工法
京都の清水寺
http://feel.kiyomizudera.or.jp/read/s...
愛媛県今治市の大工~小林建工です。
無垢材を使い、土壁・手刻み・仕口・貫工法による伝統工法(伝統構法)で家を建てています。
【小林建工のホームページ(Kobayashi Kenkou homepage)】
http://www.kobayashikenkou.jp/
■日本の木造伝統工法を一目散に絶滅に追い込んできた戦後の建築基準法が、ずっと禁止してきた、「石場建て伝統構法」がようやくやっと出来るようになった。
https://youtu.be/5HREzzc_lAE
石場建て伝統構法の家 もとこちゃんちの家づくり
16:48
awasetu
2016/10/04 に公開
日本の伝統構法石場建ての家づくりを楽しみながら知って頂くためにつくりました。
■一般的な日本人が思い描く木造住宅建築は、耐震用に継ぎ手に金物を使い、筋交い、構造用合板を使う「木造在来工法」のほうに行ってしまったが、日本木造建築「伝統工法」こそが、その、「継ぎ手・ジョイント」といった技術こそが、古くてそのまま、これからの新しい未来の技術であり、コンクリートと鉄の近代建築が終わりがきてしまった後の、脱近代建築、ポストモダン建築の、切り札となるもの。
●建築家・隈研吾氏の、この10年間の脱モダン建築、木造の仕事
https://youtu.be/QaNY_7oKx34
日本の伝統建築技術と木の文化の未来 ~ユネスコ無形文化遺産登録へ~ ①隈研吾氏基調講演「新国立競技場と和の建築」
57:01
Dentoh Mokuzoh
2017/09/10 に公開
2017/6/24に開催された講演会&シンポジウム
「日本の伝統建築技術と木の文化の未来~ユネスコ無形文化遺産登録へ~ 」のビデオレポートです。
■日本の伝統工法の「継ぎ手・ジョイント」が、脱近代建築、ポストモダン建築の、切り札。
継ぎ手・ジョイント ●ちどり 四方固め 4cm角材を組んで柱なしで3階建ての建物
●6cm4本の角材をジョイント 太宰府スターバックス 建物を支える構造材として
継ぎ手・ジョイント ●組んだら離れない地獄組み 柱なしで建物を支える構造材として
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http://www.nonrot.jp/koza01.html より引用
1)木の文化
ユネスコの世界遺産に登録されている日本の文化遺産を表1に示す。その過半数が木造建築物及びその関連施設であることからも明らかなように、日本の伝統的な木造文化は国際的に高く評価されている。
筆者は、法隆寺が世界遺産に登録されたときNHKの記念番組制作においてヒノキの曲げ強度性能試験を担当したが、構造部材として1,300年経過したヒノキ古材の強度性能の高さに驚愕したことを今でも記憶している。
我々の祖先は身近に手に入る木材を手工具だけで加工し、人の手足だけで組み立てて、これほど長期耐用の建築物を作り出す技術をどのようにして身につけたのであろうか?
このことを解明するには、古代の木材加工・建築技術について学ぶ必要がある。
表1 日本の世界遺産(文化遺産)
法隆寺地域の仏教建造物 - (1993年12月)
姫路城 - (1993年12月)
古都京都の文化財 - (1994年12月)
白川郷・五箇山の合掌造り集落 - (1995年12月)
原爆ドーム - (1996年12月)
厳島神社 - (1996年12月)
古都奈良の文化財 - (1998年12月)
日光の社寺 - (1999年12月)
琉球王国のグスク及び関連遺産群 - (2000年12月)
紀伊山地の霊場と参詣道 - (2004年7月)
石見銀山遺跡とその文化的景観 - (2007年6月)
平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群 - (2011年6月)
2)木材加工の歴史
昔から日本人は木材を生活の様々な場面に生かしてきた。
一例として、弥生時代の集落である登呂遺跡(静岡市)を見てみよう。これは水稲耕作を生活の糧とする集落で、水田の畦道や水路の矢板には膨大な量のスギ割板が使われており、貴重な穀物を保管する掘立柱の高床式倉庫もスギ製である (図1) 。竪穴式住居の骨組みは丸太を植物製の紐で緊結してある。その他、お椀などの什器も木製で、槌や鍬などの道具には重くて硬い広葉樹のカシ類が使われている。すなわち、木材を「適材適所」に使っていることがわかる。
これらは周囲の森から斧を使って切り出したもので、木口(丸太の横断面)に楔を打ち込んで割ることによって製材し、釿(ちょうな)ではつり、鑿(のみ)を使って仕口加工・穴あけ加工している。
彼らは、はずみ車を装着した舞錐式火起し器を使用していたので、これは細穴をあける錐(きり)としても使用されたであろう。
この時代は大陸から鉄器が国内に導入された時期であり、従来の石器に比べて加工レベルは飛躍的に向上している。農業生産性に優れた水稲と加工性に優れた鉄製工具の採用は、まさに世紀の技術革新であった。
弥生時代末期の●(※紀元後1世紀の)吉野ヶ里遺跡(佐賀県)では、木材の結合が従来の紐結わえ方式から、●ほぞ穴・相欠き等を多用した本格的な木組みへと発展している (写真1) 。
ただ、縦引き用の鋸(のこぎり)は中国などの隣接国よりも発達が遅れていたが、これは日本では割裂しやすいスギを多用していたので必要性が欠けていたためと考えられている。
登呂遺跡の高床式倉庫(関野克博士による復元図)
吉野ヶ里遺跡の物見櫓

写真1 吉野ヶ里遺跡の物見櫓
古墳時代の木製埴輪等の出土品を見ると鋭利な刃物を用いて正確な細工がなされており、手による木材加工技術が完成の域に達したことがわかる。
3)木造建築の歴史
弥生時代の住まいは竪穴式住居で、その多くは壁面を持たない伏屋式であった。今日的な見方をすれば小屋組だけの簡素な住まいと言えよう。
集落の拠点的建物に採用された壁立て式の竪穴住居は、その後の日本の農家や民家のもととなっている。
高床式倉庫は、その後、神社建築様式の一つである神明造(高床で屋根は茅葺または板葺)へと発展した。さらに、高床式の建築様式は平安時代には高貴な人々が過ごす寝殿造りへ、鎌倉時代には書院造へと繋がっている。
これらの建造物の多くは掘立柱方式で造られたため湿潤土壌との「腐れ縁」が断ち切れず、その耐用年数は十数年~数十年という短いものであった。豊かな森林資源を背景とした工法であったと言える。
日本の人口が一千万人未満の時代(15世紀まで)はこれが許容されたであろうが、一億人を抱える現代にあっては、このような資源の無駄使いは許容されない。
●6世紀末の仏教の伝来とともに版築工法で地盤固めをした地面上に礎石を置き、その上に柱を建てる礎石式の寺院(屋根は瓦ぶき)が建造されると、その耐朽性が注目され、次第に寺院以外の建物にも普及するようになった。
世界最古の木造建築として著名な法隆寺金堂・五重塔(奈良県)も礎石式の建物である。
●なお、掘立式と礎石式の建物は長らく併存状態が続き、礎石式に完全移行したのは幕末のこととされている。
礎石式の木造建築物は1923年の関東大震災でその多くが倒壊したため、その後の新築木造の基礎は鉄筋コンクリートの布基礎に転換し、ボルト・ナットを介して上部構造と緊結されるようになった。現在の木造建築物の基礎は、さらに進んで「べた基礎」に転換しつつある。
●注)現在でも、伊勢神宮の正殿は掘立式である。また、法隆寺五重塔の心柱も掘立式である。これらは宗教的な理由によるものである。
●法隆寺は創建当時の姿のまま今日があるわけではない。これまでに複数回の解体修理が実施されている(傷んだ部材の交換、雨漏れ補修、構造的補強、部分的改変など)。
現代的視点でこれを見たときの注目点は、分解・組立てが可能な基本設計にある。解体修理が困難な構造体が蔓延する今日にあって、この事実は新鮮に見えるのではないだろうか?
■法隆寺 五重塔を1/3で再現 1400年前にすでに伝統木組み工法免震工法が完成
https://youtu.be/NXMB453vnAE
法隆寺 五重塔を1/3で再現 〜再現から分かるその強さ〜
3:12
大須賀技建
2014/10/20 に公開
■太宰府にあった、やまと王朝の法興寺が、600年代後半、奈良斑鳩で火災で全消失した法隆寺若草伽藍跡そばに、移築され、現在の奈良斑鳩に法隆寺としてある(元太宰府法興寺であった)五重塔は、心柱で建物全体を吊るジャイロ免震制震構造という、1400年後の現代でも最新の免震テクノロジーになっている。
東京のスカイツリーは法隆寺と同じ心柱ジャイロ免震制震構造となっている。
https://youtu.be/D-erzqonPZM
東京スカイツリー心柱・制震装置(NHK BS放映)
9:54
寺井貞夫
2012/03/29 に公開
usagi2580 は共有ビデオファイルです。
1:地震対策(心柱、制震装置 芯柱長さ 375M 重量11000トン)
芯柱の施工状況(236日かかった)
== FIN ==