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- CATEGORY歴史・日本建国
今は打ち捨てられた筑豊、香春岳三山のふもとに、神武天皇は邪馬臺(やまと)國ヤマト王朝を建てられた、のです。日本建国の地です。あなたは信じられますか?
■遠賀湾の古代地図 遠賀湾が ちかつ近江 行橋沖の とうと近江の琵琶の海
万葉集
香具山の遠くにカモメが 『かまめたつ』
くじらを近江(おうみ淡海)に曳いてきた 『いさなとりおうみに』
奈良の香具山でこんなことが起こりますか?
香具山のことは、奈良の香具山ではないところのことを、歌っていることになります。
画像 遠賀湾の古代地図 遠賀湾が ちかつ近江 行橋沖の とうと近江の琵琶の海

■香春岳三山 現・福岡県田川郡香春町の香春岳三山こそが、大和(ヤマト)三山である。
香春岳 かわらだけ
福岡県田川郡香春町、標高511m
画像 香春岳三山

万葉集が言っていること。
●天香具山は、「白い衣がたなびいている」。
●天香具山からは、『かまめたつ』= 遠くに「かもめが飛ぶのが見えた」、『いさなとりおうみに』= 海から内陸の方に「クジラが曳いてこられた」、と歌われた。
●香春岳三山は古代から、万葉集に歌われていたとおりに、金が採れ、銅が採れ、鉄が採れてきた。そのことはまずなにより、そこが、古代から、縄文末期弥生を通して、財力と権力の源泉となる場所であったことを示している。。
また、8世紀の文書「風土紀」に、香春町が初めて公式文書に登場、町名の由来は古代朝鮮語にある。古くから朝鮮半島にゆかりがあったとされ、朝鮮にかかわる地名も残っている。
岩石山=ソホリの山 (西側:ソホリ野/東山麓の野:吾勝野 ⇒赤村)
ソホリの里 ⇒ ソエダ、添田町
赤村の歴史・古伝承」(飛ぶ鳥の明日香は 赤村の飛鳥 飛鳥川)
http://www.sairosha.com/yama/kawaradake.htm
(上記サイトの記事を引用はじめ)
新羅の王子とされるツヌガアラシトを祀った現人神社や、彼が朝鮮半島から追ってきた女性(ヒメコソ)ではないかとも目されるトヨヒメ(三ノ岳の神)を祀る古宮八幡などを見てまわることに1時間ほど費やして、11時半にようやく登山口近くの採銅所小学校へ。
16時ごろ、香春神社の前に出た。
ここは祟神期に香春三山の三神が合祀されたと伝わる、やたらと古い神社だ。
一ノ岳の神は、辛国息長大姫大自(からくにおきながおおひめおおじ)。「辛国」は朝鮮半島を指す。「息長」はヤマトや琵琶湖にも勢力を張った渡来氏族だ。
三ノ岳のトヨヒメや現人神社も合わせて、香春岳が渡来人たちの聖山だったことが偲ばれる。
ちなみに二ノ岳の祭神はオシホネ、これは天皇家の祖先のオシホミミ(天孫降臨したニニギの父)を指すわけだが・・・。』
(引用おわり)
●筑豊の香春岳は古代から銅・金・鉄を産出しつづけている。
明治からは国家近代化のために使われ現在は打ち捨てられている筑豊。それまでは国家の中心をなすときはつづいた。筑豊の香春岳は古代から銅・金・鉄を産出し、古代より権力者たちの財力を供給してきた。
銅鐸や銅鏡のために香春岳の銅が使われたのをはじめ、8世紀では 、東大寺大仏建立のため、最大の供給元として、ここ香春岳の銅が使われた。
香春三の岳の天香(具)山からは20世紀でも塊としては世界最大の自然金が採れた。
近代では一帯が石炭が掘られ八幡の製鉄所と合わせて日本の近代化を支えた。また現代ではセメント鉱業の山となって一の岳は山容が半分ほどに削られてしまっている。
香春町には仲哀天皇故事の「仲哀峠」の地名が残り現在は新仲哀トンネルもできた。 香春岳には、野生のニホンザルが多数生息。春には「採銅所駅」前の桜が咲き誇る。テレビラジオの電波塔が建つ「大坂山」が。
奈良の天香具山、大和三山からは、昔から銅も金も鉄もまったく採れない。歴史学者が、万葉集に天の香具山から銅が採れた金が採れたと歌われても、実際は、昔から銅も金も鉄もまったく採れないのを、誰一人問題にしてこなかった、これはふしぎな心理作用だ。
香春岳三の岳の天香(具)山は、「白い衣がたなびいている」、と万葉集でうたわれた。
香春岳三山は石灰岩の山で、最澄がこの地にやってきた当時までは、植物の生えない石灰岩剥き出しの山肌で、白い衣がたなびいている、と歌われても不思議ではない。
●天香(具)山には、入り江が外洋に開かれた「海」がそこにあった。
天香(具)山からは遠くに「かもめが飛ぶのが見えた」、海から内陸の方に「クジラが曳いてこられた」と歌われた。
奈良の天香具山からは、「かもめが飛ぶのは見えない」し、淀川から飛鳥方面に「クジラが曳いてこられる様子」もなかったろう。
香春岳天香(具)山からは、当時は近くまで迫っていた遠賀湾の海上を、カモメが飛んでいる鳥影が肉眼で見えていただろうし、遠賀湾から遠賀川河口までクジラが曳いてこられるのが香春岳天香(具)山から見られただろう。
●天香具山とは、九州豊国ヤマト王朝の勅撰和歌集であった万葉集で歌われた、香春岳天香(具)山である。
●奈良の天香具山の故事と地名は、古事記、日本書紀で、奈良の大和王朝が正統なものであることを創作するための、九州豊国の香春岳三山の、豊国ヤマト王朝で起こった故事と地名の、コピー、複製である。
万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。
大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定[1]、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。
天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)[2]
畝傍山(うねびやま、199m)[2]
耳成山(みみなしやま、140m)[2]
大和三山はへなちょこな、山ともいえない、どこにである裏山ではないですか?
紀元前1100年の中国「周」に、すでに香春のひとたちは行っていた。香春の歴史はどこよりも古いのです。
香春岳三山を迎える霊峰彦山は天皇家から英彦山という尊号を戴いている。
●彦山神社社傳 アマノムラクモ 天村雲命、アマノオシホミミ 天忍穂耳尊 を祀る
彦山神社の起こりは崇神天皇四十一年 紀元前。
今は打ち捨てられた筑豊、香春に、神武天皇は邪馬臺(やまと)國ヤマト王朝を建てられた、のです。日本建国の地です。あなたは信じられますか?
霊峰彦山は天皇家から英彦山という尊号を戴いているのは、ここが天皇家のルーツであることを、ご存知からなのでしょう。
画像出典: 「古事記を読む―神武から景行まで」 福永晋三先生
20160925 @添田町町民会館 講演動画
記事出典: 福永晋三先生の以下の講演動画
「古事記を読む―神武から景行まで」 福永晋三 20160925 @添田町町民会館
2:19:21
崗縣
https://youtu.be/ma5gihdF83k
== FIN ==
万葉集
香具山の遠くにカモメが 『かまめたつ』
くじらを近江(おうみ淡海)に曳いてきた 『いさなとりおうみに』
奈良の香具山でこんなことが起こりますか?
香具山のことは、奈良の香具山ではないところのことを、歌っていることになります。
画像 遠賀湾の古代地図 遠賀湾が ちかつ近江 行橋沖の とうと近江の琵琶の海

■香春岳三山 現・福岡県田川郡香春町の香春岳三山こそが、大和(ヤマト)三山である。
香春岳 かわらだけ
福岡県田川郡香春町、標高511m
画像 香春岳三山

万葉集が言っていること。
●天香具山は、「白い衣がたなびいている」。
●天香具山からは、『かまめたつ』= 遠くに「かもめが飛ぶのが見えた」、『いさなとりおうみに』= 海から内陸の方に「クジラが曳いてこられた」、と歌われた。
●香春岳三山は古代から、万葉集に歌われていたとおりに、金が採れ、銅が採れ、鉄が採れてきた。そのことはまずなにより、そこが、古代から、縄文末期弥生を通して、財力と権力の源泉となる場所であったことを示している。。
また、8世紀の文書「風土紀」に、香春町が初めて公式文書に登場、町名の由来は古代朝鮮語にある。古くから朝鮮半島にゆかりがあったとされ、朝鮮にかかわる地名も残っている。
岩石山=ソホリの山 (西側:ソホリ野/東山麓の野:吾勝野 ⇒赤村)
ソホリの里 ⇒ ソエダ、添田町
赤村の歴史・古伝承」(飛ぶ鳥の明日香は 赤村の飛鳥 飛鳥川)
http://www.sairosha.com/yama/kawaradake.htm
(上記サイトの記事を引用はじめ)
新羅の王子とされるツヌガアラシトを祀った現人神社や、彼が朝鮮半島から追ってきた女性(ヒメコソ)ではないかとも目されるトヨヒメ(三ノ岳の神)を祀る古宮八幡などを見てまわることに1時間ほど費やして、11時半にようやく登山口近くの採銅所小学校へ。
16時ごろ、香春神社の前に出た。
ここは祟神期に香春三山の三神が合祀されたと伝わる、やたらと古い神社だ。
一ノ岳の神は、辛国息長大姫大自(からくにおきながおおひめおおじ)。「辛国」は朝鮮半島を指す。「息長」はヤマトや琵琶湖にも勢力を張った渡来氏族だ。
三ノ岳のトヨヒメや現人神社も合わせて、香春岳が渡来人たちの聖山だったことが偲ばれる。
ちなみに二ノ岳の祭神はオシホネ、これは天皇家の祖先のオシホミミ(天孫降臨したニニギの父)を指すわけだが・・・。』
(引用おわり)
●筑豊の香春岳は古代から銅・金・鉄を産出しつづけている。
明治からは国家近代化のために使われ現在は打ち捨てられている筑豊。それまでは国家の中心をなすときはつづいた。筑豊の香春岳は古代から銅・金・鉄を産出し、古代より権力者たちの財力を供給してきた。
銅鐸や銅鏡のために香春岳の銅が使われたのをはじめ、8世紀では 、東大寺大仏建立のため、最大の供給元として、ここ香春岳の銅が使われた。
香春三の岳の天香(具)山からは20世紀でも塊としては世界最大の自然金が採れた。
近代では一帯が石炭が掘られ八幡の製鉄所と合わせて日本の近代化を支えた。また現代ではセメント鉱業の山となって一の岳は山容が半分ほどに削られてしまっている。
香春町には仲哀天皇故事の「仲哀峠」の地名が残り現在は新仲哀トンネルもできた。 香春岳には、野生のニホンザルが多数生息。春には「採銅所駅」前の桜が咲き誇る。テレビラジオの電波塔が建つ「大坂山」が。
奈良の天香具山、大和三山からは、昔から銅も金も鉄もまったく採れない。歴史学者が、万葉集に天の香具山から銅が採れた金が採れたと歌われても、実際は、昔から銅も金も鉄もまったく採れないのを、誰一人問題にしてこなかった、これはふしぎな心理作用だ。
香春岳三の岳の天香(具)山は、「白い衣がたなびいている」、と万葉集でうたわれた。
香春岳三山は石灰岩の山で、最澄がこの地にやってきた当時までは、植物の生えない石灰岩剥き出しの山肌で、白い衣がたなびいている、と歌われても不思議ではない。
●天香(具)山には、入り江が外洋に開かれた「海」がそこにあった。
天香(具)山からは遠くに「かもめが飛ぶのが見えた」、海から内陸の方に「クジラが曳いてこられた」と歌われた。
奈良の天香具山からは、「かもめが飛ぶのは見えない」し、淀川から飛鳥方面に「クジラが曳いてこられる様子」もなかったろう。
香春岳天香(具)山からは、当時は近くまで迫っていた遠賀湾の海上を、カモメが飛んでいる鳥影が肉眼で見えていただろうし、遠賀湾から遠賀川河口までクジラが曳いてこられるのが香春岳天香(具)山から見られただろう。
●天香具山とは、九州豊国ヤマト王朝の勅撰和歌集であった万葉集で歌われた、香春岳天香(具)山である。
●奈良の天香具山の故事と地名は、古事記、日本書紀で、奈良の大和王朝が正統なものであることを創作するための、九州豊国の香春岳三山の、豊国ヤマト王朝で起こった故事と地名の、コピー、複製である。
万葉集では「香具山は 畝火(うねび)ををしと 耳成(みみなし)と 相あらそひき 神代より かくにあるらし 古昔(いにしへ)も 然(しか)にあれこそ うつせみも 嬬(つま)をあらそふらしき」(中大兄皇子、巻1-13)と歌われている。
大和三山(やまとさんざん)は、奈良県(旧・大和国)の奈良盆地南部、飛鳥周辺(橿原市)にそびえる3体の山々の総称。1967年(昭和42年)12月15日、歴史的風土保存区域に指定[1]、各山も歴史的風土特別保存地区に指定、2005年(平成17年)7月14日、国の名勝に指定された。
天香久山(あまのかぐやま、あめのかぐやま、152m)[2]
畝傍山(うねびやま、199m)[2]
耳成山(みみなしやま、140m)[2]
大和三山はへなちょこな、山ともいえない、どこにである裏山ではないですか?
紀元前1100年の中国「周」に、すでに香春のひとたちは行っていた。香春の歴史はどこよりも古いのです。
香春岳三山を迎える霊峰彦山は天皇家から英彦山という尊号を戴いている。
●彦山神社社傳 アマノムラクモ 天村雲命、アマノオシホミミ 天忍穂耳尊 を祀る
彦山神社の起こりは崇神天皇四十一年 紀元前。
今は打ち捨てられた筑豊、香春に、神武天皇は邪馬臺(やまと)國ヤマト王朝を建てられた、のです。日本建国の地です。あなたは信じられますか?
霊峰彦山は天皇家から英彦山という尊号を戴いているのは、ここが天皇家のルーツであることを、ご存知からなのでしょう。
画像出典: 「古事記を読む―神武から景行まで」 福永晋三先生
20160925 @添田町町民会館 講演動画
記事出典: 福永晋三先生の以下の講演動画
「古事記を読む―神武から景行まで」 福永晋三 20160925 @添田町町民会館
2:19:21
崗縣
https://youtu.be/ma5gihdF83k
== FIN ==
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