- 0 COMMENT
- SHARE
- TWEET
- EDIT
- CATEGORY金融経済投資
【香港速報】機動隊が学生を大学に封鎖監禁し皆殺しするぞ作戦、開始。香港の学生は中国の本当の建国オーナーは、誰なのか、知らされてない。
香港警察が香港理工大学で学生を包囲し出口を封鎖し水も食料も無く監禁。
政府が市民を痛めつける、のでなく殺してしまうぞ作戦を開始。
これは内戦勃発!である。 It's WAR.
学生を路上で襲っては血だらけにして、そのまま放置。
逮捕した学生を香港から中国本土に電車で輸送している ?
これに対しポンペイオ国務長官緊急非難声明。英国、オーストラリア、英連邦各国が中国を非難、対処政策。
米中貿易交渉、部分合意、どころか、難破。
中国を米ドル国際金融システムから締め出す。中国が米国債を売る。という最終局面が。
■【香港速報】内戦勃発!ポンペイオ非難声明
https://youtu.be/uXVmubdaol4
【香港速報】内戦勃発!ポンペイオ非難声明【及川幸久−BREAKING−】
7,049 回視聴•2019/11/18
8:23
及川幸久 潜在意識チャンネル
チャンネル登録者数 6.7万人
<本日の及川幸久−BREAKING NEWS− >※ほぼ毎日更新※
【香港速報】内戦勃発!ポンペイオ非難声明
中国共産党政府があまりに酷いことをすると、自浄できないとなると、中華最古の国体勢力が、世界の国体勢力を動かす。米国の国体勢力と繋がるトランプを使って習近平を潰してもらう、ことをする。
現在の香港の学生は、中国、香港の建国事情、共産党政府を倒せる最終的な国の本当のオーナーはどの勢力か、について全く知らされていない。犬死にしないで。生き延びてほしい。
■次は「2019年12月25日」だ!怒れる香港の学生たちに告ぐ (原田武夫の道中辻斬り)
https://youtu.be/y7nTA7jJTSI
次は「2019年12月25日」だ!怒れる香港の学生たちに告ぐ(原田武夫の道中辻斬り Vol. 82)
1,425 回視聴•2019/11/18
18:17
原田武夫国際戦略情報研究所
チャンネル登録者数 1.49万人
( ※チャンネル登録をどうぞ⇒ https://goo.gl/ztvBPU )
大好評の弊研究所代表・原田武夫によるフリー・トークでお送りする「道中辻斬り」の第82 弾。今回は謎のホワイト・ルームよりお送り致します。
もはや止まることを知らない「香港の怒れる学生たち」。しかしそうした騒擾・騒乱が起きている今こそ、それらの背後にあって実質的な何物かをつかみとらなければならない、と弊研究所代表・原田武夫は今回述べています。それではそこでいう「背後にあって実質的な何物か」とは何なのでしょうか。
そして気になるのは何といっても次なる”潮目”なわけですが、これについても今回、代表・原田武夫は明確に述べている。一体そこで何が起きるのか??そして何よりもマーケットとそれを取り巻く国内外情勢はどの様な転換を見せるというのでしょうか。---弊研究所代表・原田武夫がここだけでじっくりと語ります!!
なお本篇において触れております会員制サーヴィス「原田武夫ゲマインシャフト」について詳しくはこちら(→末尾のURL)をクリックして今すぐ御申込下さい!
( https://00m.in/cz9aQ )
中国最古の国、「夏」の末裔である契丹を祖先に持つ、今は雲南省を拠点にする、客家・華僑の根源的階層が、かれらの財力と人的ネットワークで、現在の中国と台湾と香港を作った。中華人民共和国と中華民国の本当のオーナーは、彼ら中華最古の国体勢力である。
中国共産党政府があまりに酷いことをすると、自浄できないとなると、彼ら中華最古の国体勢力が、世界の国体勢力を動かす。米国の国体勢力と繋がるトランプを使って習近平を潰してもらう、ことをする。
現在の香港の学生は、中国、香港の建国事情、共産党政府を倒せる最終的な国の本当のオーナーはどの勢力か、について全く知らされていない。犬死にしないで。生き延びてほしい。
以下、再掲。
http://kenchicjunrei.jp/blog-entry-117.html
契丹を祖先に持つ客家・華僑の根源的階層。アメリカの本当の所有者は客家・華僑ネットワークであり、大手銀行シティ・バンクは客家であった宋美齢が民族資産という簿外資産を用い設立。
●漢民族とは
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1112413671?__ysp=5riF5pyd44Gv5L2V5rCR5pePPw%3D%3D より引用
漢民族というのは中原に暮らしていた人たちのことを指します。
清国は北方のツングース系民族である女真族が建てた国です。
もっと昔の宋の国と覇権を争っていた金という国も同じ民族の国です。
ただし、人口比は圧倒的に漢族のほうが多いので、清国の中で女真族が占めていた割合はごく一部です。
中国の歴史を紐解いてみると劉邦が漢という国を建てるまで漢民族なる民族はまったく歴史には顔を出していません。
それ以前の諸国(夏、殷、周、斉、秦など)はすべて後に蛮夷と呼ばれる諸方の民族による国々です。
これらの混血がいわゆる漢民族なのではないかと考えられます。
●契丹とは
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%91%E4%B8%B9 より引用
契丹(きったん、キタン、キタイ、?音: Qid?n)は、4世紀から14世紀にかけて、満州から中央アジアの地域に存在した半農半牧の民族。10世紀初頭に現在の中華人民共和国に相当する地域の北部に帝国を建国し、国号を遼と号した。しかし12世紀に入り次第に勢力を強める女真が宋と結び南下し、挟撃された遼は1125年に滅ぼされた。契丹人の多くは女真に取り込まれ、一部は中央アジアに逃れて西遼(カラ・キタイ)を建てた。
■「契丹を祖先に持つ根源的階層」
(以下の記事を抜粋転載はじめ)
http://peters.jp/ba/future_direction/The-fundamental-hierarchy-with-Khitan-as-its-ancestor_661.html
世界中に存在するお金(マネー・通貨)の基になる簿外資産(オフ・バランス・アセット)② 「契丹を祖先に持つ根源的階層」 リンク切れ
もう一つ、簿外資産として存在しているものとして金(ゴールド)などの重金属があります。金や銀などの重金属は、鉱石や砂金などから採取し、生成されていますが、これまでその生成過程については分っていませんでした。
しかし最近、生成の秘密が解明されつつあります。それは、中性子星同士の凄まじい衝突により宇宙空間から放出され、地球に飛来してきたという説です。科学雑誌のナショナル・ジオグラフィックでは、中性子星の合体が観測されたことによって、長い間議論されてきた重元素の起源も解明を試みました。
近年の研究で、超新星爆発から現在宇宙に存在する重金属に匹敵するだけの量が放出されなかったことが分かってきているようです。こうした重い元素を作るには、たくさんの中性子が必要であり、中性子とは原子核を構成する粒子の一つで、中性子星が爆発した時に大量に放出されるというわけです。
アリゾナ大学のフェリヤル・オゼル氏によると、この質量とできたての中性子星の特徴を踏まえると、これはほぼ間違いなくブラックホールだという結論に至ったようです。
そして、飛来した金銀のうち三次元の地球で実体化したものはごく一部であり、その大半は未だに三次元ではない中間の時空に留まっていると言います。
その次元の狭間に、精神の力や機械的手段を用いて達した一部の人たちがいました。
彼らは血族単位で世界的に活動し、共同でその膨大な金の出し入れを管理し、世界をコントロールしてきたわけです。彼らのことを根源的階層、つまり王族と呼ばれていたり、日本では皇族と呼ばれています。
さて、一般的に日米同盟とは軍事同盟であると私たち日本人は信じています。ところが、実際にはアメリカ政府にお金が足りなくなった時、日本政府に対して「これだけ送金してほしい」といえば日本は日米同盟を名目に定められた様々な国際約束(条約・協定)に基づいてこれを拒むことができません。
要するに、日米同盟とは金融同盟のことであって、戦後はアメリカにとって日本は大事なファンド国家であり、セーフ・ヘブン(安全回避地)でもあります。
そして、その期間は1945年から100年間の期限があり、2045年まで日本は主権がないまま推移しているわけです。
そして、その頃に成立した世界的な金融体制がブレトン・ウッズ体制です。ブレトン・ウッズ協定とは、
1929年の世界大恐慌により1930年代に各国がブロック経済圏をつくって世界大戦を招いた反省によるだけでなく、第二次世界大戦で疲弊・混乱した世界経済を安定化させる目的がありました。
米ドルを基軸とした固定為替相場制であり、1オンス35ドルと金兌換によってアメリカの米ドルと各国の通貨の交換比率(為替相場)を一定に保つことによって自由貿易を発展させ、世界経済を安定させる仕組みです。
協定の概要はアシュケナジム系ユダヤ人が決めましたが、細則は客家・華僑ネットワークが乗り込んできて決めたことになっています。
歴史の教科書では、アメリカは信仰の自由を求めた清教徒がメイフラワー号に乗ってアメリカに渡ったことが始まりと書かれています。
しかし、その後はユダヤ系が支配し始め、さらにその後は中国系がアメリカを牛耳っているわけです。
いずれにしても、アメリカの所有者は客家・華僑ネットワークであり、そのファンドの運用はユダヤ人となっており、両者の意向が一致しないと物事が進まない仕組みになっています。
例えば、アメリカの大手銀行シティ・バンクは客家であった宋美齢が民族資産という簿外資産を用い設立しました。
あくまでも中国がアメリカのオーナーというわけではなく、客家集団が事実上のオーナーということになります。
===================
(記事転載に挿入)
●蔣宋美齡はどれくらいの富を持っていますか? あなたの想像を超えて
https://youtu.be/jjAaVA3GsjY
「蔣宋美齡」一生究竟有多少財富?超乎你的想像。
6:29
ほろ酔いの場合
2017/10/19 に公開
1939年10月17日「日本特務機關對國民黨政府高級官員在上海外國銀行存款情況」所作的秘密調查報告《登集團特報丙第一號——政府要人上海外國銀行預金(存款)調查表》,其中:蔣介石6639萬元(按當時法幣與美元的兌換價,約合809萬美元,下同),宋美齡3094萬元(377萬美元)。
Chiang Sung Mei Ling蔣宋美齡はどれくらいの富を持っていますか? あなたの想像を超えて
1939年10月17日、上海外国銀行における国民政府高官の預託に関する日本政府長官、「調査グループ特別報告第1号C上海上海外邦銀行前預金(アンケート)アンケート」 そのうち、蒋介石、6630万元(当時のフランスドルと米ドルの換算レート、約809百万米ドル、以下同様)、ソングメイリング306億元(377万ドル)。
※日本特務機關は蔣宋美齡が関係する簿外資産までは調査できなかった
■映画「宋家の三姉妹」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E5%AE%B6%E3%81%AE%E4%B8%89%E5%A7%89%E5%A6%B9
ストーリー
中国の名士チャーリー宋の娘として生まれた三姉妹。長女の宋靄齢は大財閥の当主孔祥熙と、次女の宋慶齢は中国革命の父孫文と、三女の宋美齢は後の中華民国総統蒋介石と結婚し、「一人は金と、一人は権力と、一人は国家と結婚した」と言われた。彼女たちは辛亥革命・満州事変・西安事件・日中戦争・国共内戦と続いていく激動の中国近現代史を動かす存在となっていく……。
※孫文と蒋介石が最初に出会ったのは、東京の池袋。
■宋家の三姉妹 蒋介石夫人 宋美齢
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%8B%E7%BE%8E%E9%BD%A2
より引用
1897年:3月5日、客家の宋嘉樹の三女(3男3女の4番目)として清国の上海に生まれる(生年には諸説あり[1])。
1908年:アメリカに留学。
1917年:アメリカのウェルズリー大学卒業。
1927年:蒋介石と結婚。
1930年:国民党中央委員会委員就任。
1937年:国民党航空委員会秘書長就任。
1943年:カイロ会談に同席。
1943年12月25日:青天白日勲章受章[2]。
1949年:共産党との内戦に敗れた蒋介石とともに台湾に移る。
1950年:中華婦女反共抗ソ聯合会会長就任。
1975年:蒋介石が死去。夫の死去後、アメリカに移住。
1994年:生涯で最後の帰国を行う。
2003年:10月23日、ニューヨークの自宅で死去(106歳)。
1897年に清朝の上海で誕生した。孫文の支援者である父の宋嘉樹(「チャーリー宋」とも呼ばれていた)と、母の倪桂珍の間に誕生する。
父はメソジスト教会の宣教師であったが、後に布教活動を止めて商売の道に進み●浙江財閥の創始者として大富豪となった。
その後孔祥熙の妻となる宋靄齢、父が支援し続けた孫文の妻となる宋慶齢の2人の姉と共に「宋氏(家)三姉妹」として、中華民国内をはじめとする中華圏だけでなく、世界的にも永く知られることとなる。また、中華民国の政治家・実業家であった宋子文は兄に当たる。
1975年4月に蒋介石が没すると、蒋介石が前妻毛福梅との間にもうけた長男の蒋経国が国民党主席兼中央委員会常務委員会主席に就任し党内の支持基盤を確立、次期総統就任への準備が進められた。
政治的基盤の弱体化を予想した宋美齢は、同年に中華民国を去りアメリカに住居を移し、1950年代に孔祥熙が購入していたニューヨーク州のロングアイランドの広大な屋敷に居を構えた。
なお1981年5月に、姉で中華人民共和国名誉国家主席となっていた宋慶齢が危篤となった際には、同国より宋慶齢の見舞いのために訪問を打診されたものの、同国との敵対関係が続いていたこともありこれを拒絶している。
https://youtu.be/SqaqouBr6Iw
宋美龄旧居出售,全貌首次被世人所见,美得不像话
6:03
李德天
2017/06/21 に公開
宋美龄旧居出售,全貌首次被世人所见,美得不像话!
宋美龄位于长岛的旧宅近日以$1180万价格,出现在房地产市场上。受到华裔买家热捧,28日首日售房当天, 就有7位买家现身,全部是华人
ソング・メイリング宋美龄の古い家が売り物になっていて、全体像は初めて世界に見られます。
ニューヨーク州ロングアイランドのソングメイリングの古い家は、最近1180万ドルで不動産市場に登場しました。 中国のバイヤーは熱狂的でした。28日の売り初日には、7人のバイヤーが出現しました。それらはすべて中国人でした。
■孫文夫人・中華人民共和国名誉主席・宋慶齢の旧居
北京市西城区の後海のほとりに、典型的な中国式庭園がある。中華人民共和国名誉主席・宋慶齢の旧居だ。桃宋慶齢は1963年にここに移り住み、約20年生活し、1981年7月29日に亡くなった。
市民がまったく窺い知れない、市民が近づけない中南海=共産党北京政府&官僚住居ゾーンの湖の対岸の方角に、後海のほとりに、長らく宋慶齢は移り住み、中南海=共産党北京政府ゾーンを睨んで、北京政府官僚たちへの沈黙の重しとなっていました。
●中南海 中華人民共和国政府や中国共産党の本部や要人・秘書の居住区などがある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8D%97%E6%B5%B7
より引用
中南海(ちゅうなんかい、簡体字: 中南海、拼音: Zhōngnánhǎi)は、北京市の中心部西城区、かつての紫禁城(現故宮)の西側に隣接する地区を指す。中華人民共和国政府や中国共産党の本部や要人・秘書の居住区などがある。
中南海の概要
観光客で賑わう故宮や天安門広場のすぐ近く、高さ6メートル余りの赤い壁で囲まれた人の近付かない一角が本中南海である。
その前を横切る北京のメインストリートである長安街から正門(新華門)には、「偉大なる中国共産党万歳」、「必勝不敗の毛沢東思想万歳」のスローガンが掲げてある。
この中南海の面積は、中国の単位で1500ムー(100万平方メートル)あり、うち700ムーが池(中海と南海)といわれる。その広さは東京ドーム25個分、東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせた面積に相当する。
1898年の戊戌政変で光緒帝が幽閉された南海の小島・瀛台(えいだい)、毛沢東の住居のあった豊沢園、1976年10月「四人組」が逮捕された懐仁堂、中国共産党中央書記処の執務室のある勤政殿など140以上の様々な建物がある。
さらには「燕京八景」にも選ばれている水雲榭(すいうんしゃ)、「園中之園」とも呼ばれる静谷などもあり、「皇家園林」(皇帝所有の庭園)時代の施設も残っている。
中南海の実像
ヴェールに包まれた中南海ではあるが、例外的に一般人の立ち入りが認められることがあり、その実像を垣間見ることもできる。
中国の新興ホテル「桔子水晶(クリスタルオレンジ)酒店集団」を経営する呉海は、2015年3月下旬中国版LINE「微信」に李克強首相への公開書簡を投稿し、民間企業が置かれた理不尽な立場を、権力者にへつらう「卑屈な悪の手先」に例えた。これが中央政府の目に留まり、中南海に呼ばれた。
そこで30人もの官僚や専門家を前に中国での行政改革の必要性を語ったという。「地方政府の庁舎には、もっと豪華なものもあるのに。中南海の建物は意外に古かった。まるで1950年代のオフィスみたいだった」と感想を述べた。
中南海を訪ねた外国人
2015年4月、中国国有の巨大複合企業である中信集団(CITIC)傘下の証券会社である中信証券の上級役員を務めた徳地立人(1952年-)は、スタンフォード大学の政治学者であるフランシス・フクヤマと経済学者の青木昌彦と、王岐山・中央規律検査委員会書記とを中南海において引き合わせた。
歴史や哲学など様々な角度から政治制度を深く考えるフクヤマ、中国の経済制度改革にも影響を及ぼす青木と、歴史学を学び、フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィルの著書を読む王とを引き合わせ、中国の将来を長い目で語り合うきっかけにしたかったからという。徳地によると、中南海の部屋に入ると、びょうぶの向こうにノーネクタイの王がおり、真っ赤な赤いじゅうたんの上に黒い布靴が目立っていたという。
●什刹海は、北海、中海、南海にたいして、北京の西北端に位置する都会のオアシスである。
http://japan.visitbeijing.com.cn/sightseeing/n214674271.shtml
より引用
什刹海は北京の西北端に位置する都会のオアシスである。ここには自然景観と人文景観が集まっており、文化財や遺跡が多く残る場所である。歴史も古く、北京の有名な名所であり、北京発祥の地ともいわれている。
2004年、什刹海の光り輝く歴史のために、廠橋街道が什刹海街道に改名された。2005年、中国国家地理雑誌社の主催した「中国で最も美しい地方」という特集の中で、什刹海は中国で最も美しい五大都市区の一つに選ばれている。2008年に北京でオリンピックが行われた際、什刹海周辺の多くの住民が「オリンピックの家」として大量の外国人観光客を受け入れたそうである。2009年、什刹海は国家観光局から4A級の観光地に選ばれている。
銀錠橋から東の水域は蓮の花が咲き乱れ、当時都で蓮が最も美しい場所とされていたことから、「蓮の花の小さな湖」と名付けられたそうである。新中国の成立後、上述の三つの水域をさらに分けた西海、後海、前海の総称を什刹海とした。現在は前三海(北海、中南海)と区別するため、什刹海または後三海と称されている。
「先に什刹海あり、後に都市北京あり」
元朝が金朝を滅ぼした時、かつて豪華であった金中都(広安門の一帯で、蓮花池の水系を利用)は元軍によって火を放たれ廃墟となってしまった。再び場所を選んで都を建設する際、元世の祖フビライは丞相の劉秉忠の提案を聞き入れ、積水潭と北海、中南海の水系を利用して都を建設することにした。この時、北海と中南海は、遼の時代と金の時代に建造されていたため、すでに北京で有名な皇室の庭園になっていた。
その後、フビライは北海の「瓊嶼」、「大寧宮」(遼と金の時代に建造された仮の御所)に一時滞在し、積水潭と北海、中南海の東側を新しい都にするため中軸線に基づいて城を築いていく。すなわち北京(大都)が建造されたのである。
元四年(1267年)に建設が始まり、元十三年(1276年)に完成されたと言われている。昔の北京に伝わることわざに、「先に什刹海あり、後に都市北京あり。」というものがある。これは北京市ができる前にこの地に什刹海が既にあったことを物語っている。
現在の東城にある南北鑼鼓巷と両側の街道の大部分はいまだ元代の作りのままで、さらに「胡同」と呼ばれる北京の街道も元代からはじまったものである。
当時大通りと胡同においてエンジュを街路樹として栽培したため、四合院の門前には自然と二本のエンジュがあるのだそうだ。イタリアの冒険家マルコポーロが元の大都市に来た際、この都市は世界で最も美しい都市だと語っている。今も北京では元代に建設された古い路地、胡同を目にすることができる。
またこのエリアには多くの古代名士が住んでいた。現在に残る旧居に宋慶齢故居、郭沫若故居、梅蘭芳故居、溥傑故居、張伯駒故居、馬海徳故居、張之洞故居、蕭軍故居、田間故居などがある。
●北京什刹海 西海、後海、前海の総称を什刹海とした
https://youtu.be/p_LHAdJLR84
北京之行 第五集 什刹海
4:04
真心
2016/08/29 に公開
2016年8月6日,北京什刹海(分前海和后海)
http://d.hatena.ne.jp/naozi/20110712/1310479772
より引用
●「孫文と日本の友人たち-革命を支援した梅屋庄吉たち」特別展
2011-07-12
今年は辛亥革命100周年。
その、清朝を倒し革命を成功させた中国の革命家・孫文については関心があるし、彼の妻である宋慶齢にも、僕は以前に「宗家の三姉妹」という映画を観て小説も読んだことがあって興味があった。
それに、その孫文を資金的に援助した日本人・梅屋庄吉というのは、日活の創設者だと、最近知ったということもあり、「革命を支援した梅屋庄吉たち」という文字にも惹き付けられた。
カメラを手にして「展示館内は撮影は禁止だろうな」と思っていたら、係員が寄ってきて「どうぞ、写していいですよ」と声をかけてくれた。ほとんどの展示場は「撮影禁止」なのに、なんと親切なことか(太っ腹なことか)と思いつつ写真を撮り、じっくり参観できた。
孫文を生涯にわたって支援し続けた日本人資産家・梅屋庄吉。
画像

梅屋庄吉 出典: http://d.hatena.ne.jp/naozi/20110712/1310479772
梅屋は孫文と「君は兵を挙げよ、われは財をもって支援す」との盟約を結び、現在の貨幣価値で1兆円を超える革命資金を提供したと言われている。また、孫文の秘書となり、愛し合うようになった宋慶齢との縁を結んだのも梅屋庄吉夫妻で、自宅で結婚披露宴を開いたという。
今回初めて知ったのだが、あの菌類研究で有名な南方熊楠とも大英博物館で知り合って親交があったという。
何点もの孫文の真筆といい、なかなか見応えのある特別展であった。
ちょっと蛇足になるが
5年前に、北京でヤマギシの循環農法の展示会を開催した時、空き時間を見付けて、北京市の後海のほとりにある宋慶齢の旧居「宋慶齢故居」を、サガワさんとカワゾエさんと参観したことがある。
北京で有名な胡同(フートン)を散策していたら、サガワさんが「宋慶齢故居」があるはずだと言って探し当てたのだ。
●北京 宋慶齡故居 後海不夜城
https://youtu.be/hjnR77ZYJBg
大陸尋奇【中國古鎮名街】北京 宋慶齡故居 後海不夜城~1/4
13:02
紫月筠
2011/11/02 に公開
中視數位台2011年5月26日播出
(挿入おわり、記事転載に戻る)
===================
話は変わりますが、日本は歴史的に三国志時代から隋、唐、宋、元、明、清のセーフ・ヘイブン(安全回避地)でもあり、体制に危機が起きた場合、日本に逃げて来ていたという事実があります。
つまり、現在の中国にあたる歴代王朝の財産の大部分は日本に隠されているというわけです。ただし、最後の清王朝まで「漢人」の王朝は存在したことはありませんでした。
中国や日本を欧州に初めて紹介したマルコ・ポーロという人物は、「東方見聞録」という日記の中で日本をジパング、そして中国をキャセイと呼んでいます。写本では、中国大陸から1,500海里(2,500km)に王を擁いた白い肌の人々が住む巨大な島があり、黄金の宮殿や豊富な宝石・赤い真珠類などを紹介しています。
当時の日中貿易は杭州を拠点に行われていたことで、1500海里という表現は泉州から九州北部までの距離と符合し、マルコ・ポーロは日本の情報を泉州(福建省)で得たと思われます。ジパングの呼称も中国南部の日本国の発音ji-pen-quoが由来と思われています。
一方、中国のことをキャセイと呼んでいた語源はキタイ(Cathay・契丹)だと想像できます。契丹という国は現在の北朝鮮の上にありました。947年には国号を遼とし、1125年、金と宋に挟撃され滅亡しています。英語でChina と並んで中国を意味する Cathay の語源はこのキタイであるとされているようです。
漢人ではない契丹人の末裔は、現在雲南省で膨大な簿外資産を管理していると言われています。
つまり、彼らがセファラデム系ユダヤ人(※古代ユダヤ系)であり、そしてそれは必ず日本円を介して世界中に分配されることになっているわけです。
なぜなら、日本の天皇家と同族だからです。
現金化される際には必ず日銀を通すことで円の需要が極端に増すことから、極端な円高になる傾向があります。
しかし、中曽根康弘首相の時代に当たる1980年代前半からその簿外資産を自民党清和会が横領し始めました。彼らは別な用途でその莫大な簿外資産の一部を北朝鮮に運び、それを欧州市場で運用させていました。
1984年3月24日に簿外資産スキームをねじ曲げられ、昭和天皇の崩御1年後の1990年に平成バブルは崩壊しました。
つまり、今起きている森友・加計学園問題などの安倍政権内の混乱や緊迫している北朝鮮情勢は簿外資産の流れを正常に戻すための試みとされています。
簿外資産を横領したからこそこの30年ほどは自民党清和会の独占が起きているわけですが、現在、円安に振れているのは清和会所属の安倍首相が総理大臣をなかなか辞めないからだと考えられます。
しかし、それもいつまでも続くことはなく、簿外資産の正常化は新世界秩序への移行する資金でもあることから、まず資金の流れの正常化は北朝鮮の体制の転換を伴い、新たな世界秩序の構築へと流れていくことになるというわけです。
(抜粋転載おわり)
===================
IISIA株式会社原田武夫国際戦略情報研究所 ブログ
https://haradatakeo.com/?p=59532
2015年08月16日 #
現代の「宋美齢」との対話 (連載「パックス・ジャポニカへの道」)
(上記記事を転載)
「敗戦」から70年が経った2015年8月15日昼。私は中国の北京首都空港に降り立った。まずそこで驚いたのが、空が澄み切った青だったことである。
昨年(2014年)秋、アジア太平洋経済協力会合(APEC)が行われた時、大気汚染に喘ぐ北京の空が真っ青になったことで話題となった。「APECブルー」などといって揶揄されたものである。当然、当局による強い”指導“でそうなっただけのことである。しかし今回は事前にそうは想っていなかっただけにびっくりした。
そして夜。北京市内にあるレストランで会食した。現代の「宋美齢」と共にである。
といっても例の宋一族の末裔ではない。丁度あの70年前の暑い夏にこの大陸中国を守り切ることに成功した「宋美齢」たちと同じ”発想“をもって育ったビジネスパーソンのリーダー、という意味である。
その人が目の前に座るや否や、私は開口一番、「空が青いすぎるね」と言ってみた。するとその人は大笑いしながらこう答えてきた。「そう、青すぎる。近々、軍事パレードがあってそこで党幹部たちが皆閲兵することになってると聞いた。『だから』なのです」私も一緒に大笑いした。
この現代の「宋美齢」は一切、政治的な役割を担っていない。意図的にそうしているのだ。細かなことはこの場では書くことが出来ないが、1989年に発生した「天安門事件」が大きく関係している。そこで塗炭の苦しみを味わうことになった一族は家長である父親の指示に従い、全世界に散らばった。
まだ青少年期であった子供たちも容赦なく一人ずつ別々に行く先を指示されたのだという。「正直、あの時は『これから皿洗いでもやって生きていくしかない』と決意した」とその人は私に言ったことがある。
そして2015年。この人は老年となった両親を米国西海岸の大きな邸宅で守りながら、自分自身は米国と中国とを行き来しつつ、世界中を漫遊している。
その一停泊地で、同じくグローバル・マクロ(国際的な資金循環)の波のままに動く私と出会ったわけだが、
その人が動くとどういうわけか、世界中から人士が寄り、相談事とマネーが舞い込み続けるようになっているというわけなのだ。
USD(米ドル)とRMB(人民元)という、新たなシーソー・ゲームを始めた通貨の天秤の中で太平洋を挟んだ投資スキームをこの12年で創り上げ、後はそのメンテナンスをして暮らしている。
「将来は何を目指しているのですか?」と私が聴くと、その人は笑みを交えながら困ったと言い、「いや、もう既に何もかも手に入れているから、何かを強烈に欲しいということはないですよ」と答えてきた。
それでも米欧も含め世界中からたくさんの人たちが相談にやって来るので、笑顔で応じている。
「宋美齢姉妹もきっと、こんな人物たちだったのだろうな」と私はあらためて、北京の夕日を見ながら思った。
安倍晋三総理大臣が「渾身の力作」として発表したかったはずの「戦後70年談話」が発表された。蓋を開けてみれば何のことはない、単に「いつもの」「中途半端なもの」だった。それを踏まえ、いわゆる”国家“のレヴェルの方々、あるいは”国家論“が大好きな人士はあれやこれやと議論をあらためて繰り広げている。しかし私にはこうした姿が余りにもアナクロニズム(時代錯誤)に思えてならないのだ。
なぜならば、米国的なるものを表向き代弁する「ユダヤ勢」と「中華人民共和国」をツールとして用いる華僑・華人ネットワークは、実のところ天秤の右と左に過ぎないからだ。
「上げは下げのためであり、下げは上げのためである」という復元力の原則に則り、太平洋を跨いでシーソー・ゲームをしているに過ぎない。それ以外の諸民族はそのゲームに翻弄され、マネーを得ては奪われ、あらためて得ては奪われているに過ぎないのである。
いや、ユダヤ勢と華僑・華人ネットワークそのものの中においても「一般人」はこれらと同じく、翻弄されているに過ぎないのである。
このゲームの呪縛から逃れる方法はただ一つ。シーソーの”真ん中“に立つことである。
その発想をもって先の大戦を乗り切ったのが宋家の三姉妹だったわけである。そして今もまた、この現代の「宋美齢」はその仲間たちと共に、全く同じゲームをし始めているというわけなのである。
彼・彼女らに民族的な憎しみなどなく、ましてや反日感情など微塵もない。あるとすればこうした世界の真実、グローバル・マクロのルールをもはや理解出来なくなった我が国のリーダーシップ、そして他ならぬ私たち日本人たちに対する憐憫の情なのではないだろうか。
現代の「宋美齢」は私に笑いながらこう言った。「日本人は、面倒くさいから」富が入って来てはそれを貯め込むことしか知らず、
全世界にポートフォリオを構築することでいかなる災禍があれど、自分が、そしてファミリーが残るためのシステムづくりに励むなどという発想そのものが私たちに日本人にはもはや皆無なのである。
先日、人民元が切り下げられた(devaluation)わけだが、これとて何のことはない、同時に米ドルが買われたに過ぎないのである。太平洋を跨いだスキーム全体にコミットしていれば、何も減らすことはなく、また失うこともなかったはずなのである。
「日本はもう終わりで、デフォルトになる。だから米ドルに全部切り替えるべきだと議論して、国外への資産移転を促している経済評論家たちが日本には大勢いすぎて困る」と私が言うと、
その人はひときわ大笑いしながら言った。「馬鹿馬鹿しい。しかしそうであればなぜ米ドルだけに賭けるのか。人民元建てと天秤にかけるという発想が日本人には何故ないのか、理解に苦しむ」
よくよく考えみれば、共産中国が大躍進から文化大革命へと突っ込み、結果として今になって経済発展しているのも、華僑・華人ネットワークらによる計算によるものかもしれないのである。
なぜならば太陽活動の異変に端を発する今現在の動きの中で、ユダヤ的なるものがもはや身動きがとれなくなったこの瞬間、結局のところ、13億人もの「食い扶持」を抱える大陸中国こそが、注目を浴びることは目に見えていたからだ。
そうであれば「ここぞ」というタイミングに一撃必打で動かせば良いのであって、それまではそれこそ昼行燈ではないが、「共産主義ゲーム」をやってユダヤ勢を目くらまししておけばよいのである。
私が「私は日本が好きだ。だから、“日本は滅びるから資産は全て米国に”などという議論を聴くとどうしても憤っていしまう」というと、
「全くもってそういう気持ちは大切だ」とうなずきながら、その人はこうも言った。「日本は素敵ですね。特に桜のシーズンは素敵。日本文化は本当に素晴らしいと思う」
こうした素朴な感情がやがて全体としての日本化(Japanification)をこの大陸中国にもたらす時。
1931年以降の力づくで抑えつけようと私たちの先祖たちがこの大陸中国で行ったこととは全く違う現象が生じるはずなのである。しかも私たち日本人にとって圧倒的に有利な形で。知らぬは私たち日本人だけである。全員が全員でなくてもいい。
しかし我が国の未来を担っていくリーダーシップがこうした華僑・華人ネットワークのハイレヴェルとの間で本音で語り合える関係をあらためて築き上げ、
同時に米国勢ではなく、たとえばカナダ勢といった「裏技」を用いながら、ユダヤ勢とも丁々発止のゲームを行う中で、総じて「パックス・ジャポニカ(Pax Japonica)」を実現していく。―――そうした未来を目指して、引き続き非力を尽くしていきたい。そう想いながら、真っ青な空の北京を今、後にする。
2015年8月16日 中国・北京にて
原田 武夫記す
(記事を転載おわり)
== FIN ==