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住宅建築の至宝。建築家・吉村順三の軽井沢の山荘。気持ちいいだろ。気持ちいいのはプロポーションもいいんだよ。
こころとからだを揺さぶる体験が ――――。建築界の掌中の珠といわれる名作。
気持ちいい、いごこちのいい、の正体、現代住宅の 仮構=プロポーション、と、収まりの 美。吉村順三の住宅建築の本質。
https://youtu.be/xovHf42VIHg
-建築家・吉村順三の仕事-(軽井沢の山荘)
115,153 回視聴•2009/09/14
9:27
phonographjp
チャンネル登録者数 962人
-建築家・吉村順三の仕事-(軽井沢の山荘)
吉村順三[1908—97]
建築家。東京生まれ。東京美術学校(現東京芸術大)建築学科卒業後、レイモンド建築設計事務所に勤める。渡米後1943年(昭和18)に設計事務所を開設。45年東京美術学校助教授、52年東京芸術大学教授。70年退官し名誉教授となる。初め東京のNCRビル(1963)や「浜田山の家」(1964)などの住宅作品で知られ、皇居新宮殿の基本設計(1963)にもあたる。人間味ある温かい作風で、おもな作品に愛知県立芸術大学(1971)、ニューヨークのジャパン・ハウス(1972)、奈良国立博物館新館(1973)などがある。74年日本芸術院賞を受賞。94年(平成6)文化功労者。
松山巌(1945‐)
昭和後期-平成時代の評論家。 昭和20年7月11日生まれ。友人と建築設計事務所を開設。昭和58年「1930年代の建築と文化」で注目される。60年「乱歩と東京」で江戸川乱歩の作品の背景となった大正時代の都市を論じ,日本推理作家協会賞。平成5年「うわさの遠近法」でサントリー学芸賞,9年「群衆」で読売文学賞。東京出身。東京芸大卒。
https://yaplog.jp/kenchicjunrei/archive/33
吉村順三の軽井沢山荘について思うこと。
October 21 [Mon], 2013, 23:18 を再掲
「吉村順三」ふうの「住宅」を、建てたいと思ったら、建築家か地場の工務店
に、行きます。吉村順三は、住宅に関しては、そのようなカテゴリーで仕事を
して来たからです。
「依頼者の要望が一切関わらない」、建築家の自邸別荘として生み出された、
「思想」の幸運な結晶、は吉村住宅のなかでも、奇跡的な完成美として、今で
も多くのひとを魅了しつづけているようです。
皮肉でもなんでもなく、―――ハウスメーカーへ吉村順三を持ち込むのは、あ
る種、吉村順三を書き換えられた別人吉村順三として差し出すようなものだ、
という意味になる愚行を2004年のある普通のご婦人にとらせるほど、あの
軽井沢山荘は、不思議な魔的とさえ言っていい力を持っているようだ。
軽井沢山荘は、高い木立のなかのゆるい傾斜地で、生まれ、そしてその環境
でのみ存在しえている美です。鳥の巣箱というコンセプト。その建物の2F+ロ
フトにおいて24尺四方の矩形の空間で顧客の要求が一切ない建築家自身が
思う物を、その可能なすべてを吉村順三はなそうとしたのだろう。
「思想」の幸運な結晶、といっても、過剰なものはない。
それをたたずまいとして接すると、ひじょうに抑制された、さりげない緊張が
ある。
そのさりげない凛としたものは、西洋からの合理性に由来したものか、あるい
はその合理性にどこか背を向けた感じから来るのか、はわからないが。
ここに、顧客の要求などはじめから越えてしまっている反近代のガウディの建
築を想像上、持ってくるとおもしろい。吉村順三がどこにいたのかが、すこしわ
かるような気がする。
あの2Fの大開口の向こうは、目には見えない縁側がたぶんつづいています。
彼はそれを小ぶりな濡れ縁をつつましく示すことで、この幻視の空間の端緒と
しています。この四方形の巣箱が完成美となっているのは、この幻視をもって
外部と内部の差異を曖昧に溶かしているところに拠っているのです。
近代建築の大家、ル・コルビュジェは晩年、大地に峻立したコンクリモダンを
捨て、海辺の、身体ひとつ分のモジュールの小屋に居を構えました。
https://tandw.exblog.jp/15692993/ より引用
吉村 順三氏(先生)が建築家として特徴的な事のひとつは、多くの後継者を育てた事でしょう。
OMソーラーハウスの産みの親「奥村 昭雄 氏」、高名な建築家である「宮脇 檀 氏」、住宅作家として近年良く一般にも知られるようになった「中村 好文 氏」、やはり住宅中心の作家として長い間良質な建築を造り続けて来られた「永田 昌民 氏」、「益子 義弘 氏」など枚挙に暇の無いほどです。
一代の才能として終わることの多い設計者の中で稀有な事です。巨匠と呼ばれる様な建築家が、後に続く人々に多くの影響を与える事はよくある話なのかも知れませんが、吉村 氏(先生)の場合は、
氏の設計に対する姿勢、つまり「人間というものに対する愛情、もの造りという事への真摯さ」を伝えたという意味で極めて稀な事だと思います。単にデザインやアイディア、スタイルを伝えるのではなく、スピリット(精神)を伝えたのだと思います。
■吉村順三の教え子 建築家 宮脇 檀(みやわき まゆみ、1936-1998)
https://youtu.be/Q-8tjfQ343k
戦後日本住宅伝説──挑発する家・内省する家」トーク・セッション〈2〉五十嵐太郎+建畠晢
1,166 回視聴•2014/09/11
51:00
artscape.jpアートスケープ
チャンネル登録者数 17人
014年7月5日〜8月31日、埼玉県立近代美術館で開催の「戦後日本住宅伝説—挑発する家・内省する家」をめぐる、五十嵐太郎・建畠晢のトークセッション。
討議される建築家と作品=
篠原一男《白の家》、
阪本一成《水無瀬の町屋》、
白井晟一《虚白庵》、
宮脇檀《松川ボックス》
毛綱毅曠《反住器》、
黒川紀章《中銀カプセルタワービル》、
原広司《原邸》、
石山修武《幻庵》、
伊東豊雄《中野本町の家》、
安藤忠雄《住吉の長屋》について。
■吉村順三の教え子 建築家 中村好文
https://youtu.be/g_oEhkSgy3g
結婚20年,甜蜜如初戀的秘訣
269,073 回視聴•2017/10/16
4:24
一条
チャンネル登録者数 70万人
“幾乎每晚,我在廚房煮飯的時候,我先生就會在隔壁走廊裏生柴火,為我燒洗澡水,365天每天如此。”6年前,建築師中村好文先生為好朋友雨宮夫婦,在東京郊區的山林裏設計了一棟小木屋,夫妻倆一起生活雖已結婚20年,感情卻是甜蜜如初,羨煞旁人。
■吉村順三の教え子 OMソーラーハウスの産みの親 建築家 奥村昭雄
OMソーラーハウスのi-works project
建築家 伊礼智 相羽建設
設計の標準化から生まれる住まい
https://youtu.be/arc0wOgl7dw
20170722_伊礼智氏講演|「設計の標準化から生まれる住まい」
1,654 回視聴•2017/08/04
1:51:55
相羽建設
チャンネル登録者数 57人
伊礼智さん特別トークショー
「設計の標準化から生まれる住まい」
日 時:2017年7月22日(土)10:30-12:30
会 場:八王子セミナーハウス
登 壇:i-works project事務局 藪下靖弘氏
伊礼智設計室 伊礼智氏
相羽建設(株)常務取締役 迎川利夫氏
八王子セミナーハウスで開催された建築家の伊礼智さんによる講演会です。
■日本の集落、その美しさに感動した宮脇 檀
町が僕たちに与える感動の実態を客観かつ実証的に解明することが必要である
https://youtu.be/hewigG0qDT4
建築家・宮脇檀が出石に残した足跡【日大建築学科制作】
100 回視聴?2019/09/05
13:08
兵庫県出石町 公式アカウント
チャンネル登録者数 4人
日大生産工学部建築工学科が制作した、建築家・宮脇檀が兵庫県出石町に残した功績を紹介する動画です。
斎藤隆夫記念館(静思堂)や出石中学校校舎、豊岡市役所出石振興局など、多くの作品を世に送り出した建築家が出石町の発展にどのように寄与したのか分かります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/宮脇檀 より引用
デザインサーベイ
大学院時代の日本一周旅行で、日本の集落をつぶさに観察し、その美しさに感動した宮脇は、その個人的な感動をその基盤がどこに存し、どのように分析する方法があるのかを模索していた。また、伝統的な街について語るとき、感覚的な印象論・抽象論か、歴史学的な文献分析で終わってしまうもどかしさに対し、少なくとも町が僕たちに与える感動の実態を客観かつ実証的に解明することが必要である、とも語っている。
1965年の夏にオレゴン大学が金沢幸町の調査を行い、その抄録が「国際建築」1966年11月号に掲載されて、伊藤ていじはその巻頭論文として「デザイン・サーベイ方法論考」を書いている。1964年に法政大学工学部建築学科の非常勤講師となっていた宮脇は、それに触発されるように1966年には、ゼミの学生の卒論のテーマとして、倉敷のデザインサーベイを行う。以降、8年間で日本の伝統的な集落9カ所のデザインサーベイを行った。
従来のフィールドワークが建築単体、もしくは集落の狭い部分を対象としていたのに対して、デザインサーベイの概念は、ある目的を持って集落全体、もしくはそれに準ずるひとつの共同体を実測し、それらを図化することによって視覚的な資料を作成、そして分析する手法と言える。宮脇ゼミのデザインサーベイは、一貫して集落の構造と景観を分析するための客観的資料の作成と言うスタンスを取ってきた。これらの成果は次の本にまとめられた。「日本の伝統的都市空間」(中央公論美術出版)、「実測術」(学芸出版社)
1966年 倉敷(岡山県倉敷市中央一丁目) 発表誌「国際建築」1967年3月号
1967年 馬籠(長野県中津川市馬籠) 発表誌「建築文化」1968年8月号
1968年 萩(山口県萩市呉服町、南古萩町)、五個荘(滋賀県東近江市五個荘山本町)発表誌「建築文化」1969年9月号
1969年 琴平(香川県仲多度郡琴平町) 発表誌「建築文化」1970年9月号
1970年 稗田(奈良県大和郡山市稗田町)
1971年 室津(兵庫県たつの市御津町室津)報告書「兵庫の町並み」兵庫県教育委員会
1972年 篠山(兵庫県丹波篠山市河原町) 報告書「兵庫の町並み」兵庫県教育委員会
1973年 平福(兵庫県佐用郡佐用町) 報告書「兵庫の町並み」兵庫県教育委員会
== FIN ==