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西洋人はパースペクティブ(遠近法)の秩序で客観的に時間空間を認識する。1860年代、この西洋の世界認識の仕方を根底から揺るがす、平面化されたレーヤー構造というジャポニカ革命を、江戸幕末の浮世絵がもたらした。
■日本文化と空間デザイン~超主観空間~
西洋人はパースペクティブ(遠近法)の秩序で客観的に時間空間を認識する。古典絵画、ルネサンス絵画。
日本人は平面的なレーヤー(層)の構造で超主観的に時間空間を(平面化されたレーヤー構造で)認識する。浮世絵。そこから浮世絵に影響された西洋印象派絵画、近代絵画の誕生。
https://youtu.be/2szRkXyCxss
日本文化と空間デザイン~超主観空間~ | 猪子 寿之 | TEDxFukuoka
105,349 回視聴?2013/04/24
17:15
TEDx Talks
チャンネル登録者数 2530万人
猪子寿之 Toshiyuki Inoko
デジタルクリエイター、チームラボ(teamLab Inc.)代表
猪子寿之氏が、東京大学工学部卒業と同時に、仲間と立ち上げたITベンチャー「チームラボ」は、プログラマ、エンジニア、デザイナーなど情報社会のさまざまなものづくりのスペシャリストから構成されるウルトラテクノロジスト集団。
ハンガーにかかった洋服を手にとると、商品の説明やモデルの映像が現れる『チームラボハンガー』、紫舟氏とコラボし、書の世界観を3D映像で表した『世界はこんなにもやさしく、うつくしい』など、テクノロジーを駆使した斬新なプロダクトやアート作品を次々に生み出し、多数の賞を受賞している。2012年に国立台湾美術館で開催したチームラボ『We are the Future』展では、数百のスマートフォンによるアニメーションジオラマ「秩序がなくともピースは成り立つ」を発表。テクノロジー・アート・デザインの境界を曖昧にしながら、メディアを超えた活動を続ける。 http://www.team-lab.net/
TEDxFukuoka is one of the TEDx conferences. http://www.tedxfukuoka.com/
In the spirit of ideas worth spreading, TEDx is a program of local, self-organized events that bring people together to share a TED-like experience. At a TEDx event, TEDTalks video and live speakers combine to spark deep discussion and connection in a small group. These local, self-organized events are branded TEDx, where x = independently organized TED event. The TED Conference provides general guidance for the TEDx program, but individual TEDx events are self-organized.* (*Subject to certain rules and regulations)
■1860年代、パリのジャポニスム・ムーブメントに伝わった江戸幕末の浮世絵が、パリのマネ、モネ、ゴッホの印象派、さらに近代絵画を創った。
1700年代の古浮世絵は1890年前後から本格的にパリにもたらされ、これは印象派出現には関係ない。
そして世界中でコレクションされているのは、金持ちが好んだ1700年代の古浮世絵である。印象派を生んだ江戸幕末の浮世絵は世界でいまでも正しく評価されていない。
江戸幕末の浮世絵が印象派を誕生させたのであり、この絵画上の革命は、西洋人と日本人の世界認識の仕方の革命でもあった。
西洋人はパースペクティブ(遠近法)の秩序で客観的に時間空間を認識する。古典絵画、ルネサンス絵画。
日本人は平面的なレーヤー(層)の構造で超主観的に時間空間を(平面化されたレーヤー構造で)認識する。それが浮世絵がもたらしたこと。そこから浮世絵に影響された西洋印象派絵画、近代絵画が誕生した。北斎や広重が提示した、このジャポニカによる世界認識革命を、西欧人はいまだそれが何んなのかをよくは理解できないでいる。
https://note.com/kawakamihiroshi/n/n22b003a280b9
■幕末の浮世絵が印象派を創った
川上宏
2019/08/16 15:04 より引用
幕末の浮世絵が印象派を作った
マネが浮世絵技法の絵『草上の昼食』を描いたときから印象派から現代につながる、ルネッサンス以降最大の絵画の革命が起こりました。
『ヨーロッパの近代美術に与えた日本美術の影響は絶大なものがあった。当時のフランスの美術批評家ロジェ・マルクスは、ヨーロッパ芸術に対する日本の影響に唯一匹敵するものがあるとすれば、それはルネッサンスにおける古代芸術のみである、とまで書いている』
マネが1863年の落選展に出品した『草上の昼食』は非難と嘲笑の嵐を浴びました。
その時代、サロン(国展)では決まった技法で描くアカデミー絵画でなくては入選できませんでした。
つまり、ルネッサンス時に確立した透視図法(線遠近法)や空気遠近法並びに色彩遠近法、そして明暗法や、シンメトリー及び三角形の安定した構図などの技法で描かなくてはならなかったのです。
ちなみに透視図法を世界で初めて開発したのは、ルネッサンス時代のイタリア・フィレンツィの天才建築家フィリッポ・ブルネレスキ(Filippo Brunelleschi 1377?1446)です。
そして、レオナルド・ダ・ヴィンチが北方フランドル地方(現在のベルギー、オランダあたり)で生まれた技法、空気遠近法を取り入れモナリザを描きました。
これらの技法を破壊したのが浮世絵だったのです。
その浮世絵技法とは、
1、平面的
2、花魁、芸者など娼婦関係を題材としている。
3、黒い縁線を使っている。
遠近法4
4、歌舞伎(役者)、相撲など大衆娯楽を題材にしている。
5、原色で構成されている。
6、陰影がない。
7、背景を描かない
遠近法6
8、春画でセックスを真正面から描いている。
遠近法7
9、カメラで撮ったように、一瞬を切り取り描いている。スケッチ風、クローズアップ、切り取りの構図(例えば山の半分しか描かないなど)
遠近法5
10、絵の中に描かれていない画面が比喩などで想像できる。
遠近法8
遠近法9
11、写実画の技術の一点消失遠近法や色彩の決まり事をなくした(色彩遠近法や空気遠近法の無視,中間色の無視・単純色系の愛好)。
12、近景、中景、遠景 のように描く絵を、中景を取り払い近景と遠景で仕上げる。
13、多視点技法。
14、俯瞰の構図
遠近法10
15、連作(名所江戸百景を始め浮世絵にはたくさんの連作があり、その連作も場所を変える連作や季節を変える連作視点を変える連作などがある)。
16、戸外で描く(外光派の画家は戸外で描いていたがアカデミー絵画はアトリエでしか描かない。浮世絵も師匠などの絵を写して描く場合もありますが名所江戸百景のように現場で描かなければ描けない絵もあります)。
17、アシンメトリー【 (asymmetry) 左右非対称】や逆三角形などの様々な構図。
遠近法11
となります。
また、1648年に設立された王立絵画彫刻アカデミー での絵画の価値は、静物画よりも風景画の価値が高く、肖像画や風俗画はそれよりもさらに上位にありますが、最も価値が高いのは「歴史と物語、特に神話」を題材として群像を描く作品、つまり歴史画(宗教画も含む)であり、それがバルビゾン派、もしくは印象派の時代まで続きました。
マネが活躍した時代の絵画のサロン【ルーヴル宮サロン・カレ(方形の間)で開催される展覧会(官展 )1855年のパリ万国博以後はシャンゼリゼ通りの産業館 で開かれた】では、歴史画と肖像画以外のテーマの絵は認められていなかったと言っていいほどサロンは狭い世界だったのです。
(中略)
アカデミー絵画は、確立された技法でなければ認められる絵にはならなかったので、画家も当然、職人的な画家(師匠の言う通りに描ける画家)でなければ絵で食べていけなかったのです。
このアカデミー絵画に比べ浮世絵は何もかも自由です。
自由だからこそ、絵を描く決まりは何もないと、印象派の画家たちに教えたのが浮世絵なのです。
そしてその浮世絵が日本で興隆したわけは、浮世絵が大衆芸術だったからで、貴族芸術の流れを汲むアカデミー絵画とは何もかも違っていたのです。
浮世絵がパリに流れたからこそマネが生まれ、印象派が生まれ、絵を描くのに規制は必要なくなると感性の良い者から気づき、近代絵画は始まるのでした。
つまり、印象派もポスト印象派、それ以後の近代絵画も浮世絵がパリに流れたからこそ生まれたと言っても過言ではないのです。
初めに
印象派が生まれたのは1874年の第1回印象派展(当時の名称は違う)が開かれてからです。
その印象派展が開かれた原因は、カフェ『ゲルボア』にパリ中の前衛芸術家が集まりエネルギーが充満したからです。
カフェ『ゲルボア』にパリ中の前衛芸術家が集まったのは、ゲルボアの近くにマネが住み、マネの常連のカフェがゲルボアであり、マネに会いたい芸術家たちがゲルボアに集まったからです。
前衛芸術家たちがマネに会いたかったわけは、マネがサロン(国展)に問題作を提出したからです。
その問題作とは『草上の昼食(出展時の名称は水浴)』と『オランピア』です。

『草上の昼食』と『オランピア』
この『草上の昼食』と『オランピア』が問題作だった理由は、従来のアカデミー絵画技法(透視図法や色彩明暗法等)を無視し、平面的な絵で道徳的(娼婦の裸婦)にも許されない絵だったからです。
マネはどうしてそのような絵を描いたのか? その理由は浮世絵の影響を受け、浮世絵の技法で絵を描いたからです。
その影響を受けた浮世絵が幕末の浮世絵と北斎漫画(北斎の錦絵は、マネは見ていない)だったのです。
印象派が浮世絵の影響を受けたというのは知られていますが、どのような浮世絵の影響を受けたかまでは知られていません。
マネが浮世絵の影響を受けたと思われるのは1860年前後なので、そのころパリに渡った浮世絵がマネ、そして印象派の画家たちに影響を与えた浮世絵なのです。
明治維新は1868年なので明治の浮世絵はマネに影響を与えていません。
1700年代の古浮世絵(晴信、清長、歌麿、写楽など)がパリに登場したのは1880年代初期なので、これもマネ、印象派に影響を与えていません。
マネに影響を与えた浮世絵は、1861年以前の浮世絵でおそらく1850年代で、幕末の、広重、国芳、三代豊国を中心とした浮世絵だったでしょう。
特に広重の『名所江戸百景』が影響を与えたと思います。
『名所江戸百景』は浮世絵の集大成といっても過言ではない様々な技法で描かれています。
おそらくマネは飛び上がるほど驚いたと思います。
この浮世絵技法を取り入れて描いた絵ならパリ中にショックを与え、のちに称賛されると考えたのでしょう。
しかし、結果は非難、嘲笑の嵐で、マネの名が愚か者の代名詞のようにパリ中に広がりました。
それは当然で、ルネッサンスから始まる写実的(3次元の絵)な絵こそ、進歩した絵だと誰もが考えていた時に、現代でいう漫画的(2次元の絵)な絵を描くのですから、稚拙、後退、手抜き、絵画の冒涜などあらゆる非難を浴びるのは、ある意味仕方がないことです。
しかし、そこから絵画の革命が行われたのです。
ヨーロッパ史上最大の絵画革命が幕末の浮世絵によって持たされたのです。
浮世絵はリサイクルされ和紙にされていた
明治維新が起こると参勤交代の廃止と廃藩置県により江戸の街にあった大名の屋敷が必要なくなり、家臣たちの住まいも必要なくなったので引っ越しがあちこちで行われ、それにともなって必要のない家具などが古道具屋に山と積まれました。
おまけに明治政府の廃仏毀釈により、寺から仏像などが古道具屋に渡され、それも山と積まれ、その流れから江戸時代の芸術品が投げ売りされ、もしくは壊されてしまいました。
それを見たお雇い外国人や日本を訪れた外国人がその美術品を買い集め、それが世界の東洋美術館の中に収められました。
中古の浮世絵も同じような扱いを受け、いや、それよりもひどい扱いを受けました。
中古の浮世絵は古道具屋ではなく紙屑問屋に集められ、そこから千住の紙漉場に持っていき、釜茹でにされ、和紙に再生されていったのです。
現代のチリ紙交換のような制度が江戸時代にはあり、というより現代よりももっと細かな古紙回収が行われていました。
その話は古典落語にもあり、道楽息子の若旦那が現代のチリ紙交換がスピーカーで流すように「白紙は白紙~、カラスはカラス~、せんこう紙はせんこう紙~、陳皮は陳皮~、毛は毛~っと」と声を出しながら街を歩き回り回収していた話も出てくるのです。
紙くずや
回収された紙は、現代の回収紙がトイレットペーパーになるのと同じように、トイレの落とし紙や浅草紙などに再生されました。
漂白する技術は無かったので浮世絵などに使う和紙にはならなかったようです。
詳しくは『お江戸の科学』や『花と緑の農芸財団』のウェブを参照してください。
https://www.gakken.co.jp/kagakusouken/spread/oedo/02/kaisetsu1.html
http://www.hananozaidan.or.jp/syunnohanasi_18.html
紙くず屋が集めた紙は紙くず屋の問屋に集められ、その問屋に浮世絵が山と積まれていたそうです。
何しろ明治時代の初期は古美術品に価値が無くなりバーゲンセールどころか存在そのものに価値が無くなっていったのです。
ただ一部の浮世絵は夜店で売るために紙くず問屋から量り売りで買われていました。
中古の浮世絵でも新品と同じ値段の1枚1銭、そば一杯分の値段で、夜店にて売られていたので、市民は同じ値段なら新品の浮世絵を買うので、それほど人気もありませんでした。
現在なら6000万円以上の写楽もそば一杯の値段で買えたのです。
そこにお雇い外国人が現れるのです。
お雇い外国人は古い浮世絵に興味を持ち、特に歌麿なら全て買いました。
明治維新が無ければ1700年代の古浮世絵が紙くず屋に山積みされることはなかったでしょう。
一般的な美術品さえも価値が無くなってしまった世の中だったので、浮世絵のコレクションをやめた人が大勢出て、それらの浮世絵は紙くず屋に行くしかなかったのです。
現代でいえば古雑誌や古コミックをコレクションしていたのと同じですから、古本屋が引き取らなければちり紙交換に出すしか無いのと同じです。
お雇い外国人が古浮世絵に興味を持たなければおそらく何十万枚の古浮世絵が釜茹でにされ消滅していたでしょう。
それに、関東大震災と戦争の東京空襲で外国に渡らなければ燃えてしまった浮世絵も多数あったはずです。
つまりお雇い外国人は浮世絵を救った人たちとも言えるのです。
浮世絵は明治維新が起こる前にもヨーロッパには渡っていました。
そのほとんどは1800年代の幕末の浮世絵でしたが、その浮世絵を見たマネを始め印象派の画家たちはものすごい衝撃を受け、浮世絵技法を取り入れた絵を描き、絵画の革命を行ったのです。
(パッチワーク技法の名称は北山研二氏の「なぜモダン・アートはモダン・アートなのか」から頂きました)
その革命に匹敵するのはルネサンスの変革と比べるしかないほど、他に類を見ないものでした。
それほど幕末の浮世絵は、1860年代のパリで前衛芸術家たちに熱狂的なブームを起こしたのです。
ただ貧乏画家たちだけのブームだったので、それは大きなブームにはなりませんでした。
それが、お雇い外国人が買いあさった古浮世絵がパリに現れると、知識人と金持ちの間に古浮世絵のブームが起きたのです。
そのブームの中に林忠正がいました。
林忠正は1890年から約10年間で浮世絵を15万点以上売りさばきました。
浮世絵商の噂話では、林忠正が日本中の紙くず屋に号令をかけ浮世絵を集めたと言われていますが真偽は不明です。
浮世絵は林忠正以外にもたくさん売る人が現れ、それを買う金持ちたちの浮世絵コレクションが、欧米一流美術館20館以上に、20万点以上は収蔵されていると見られ、パリのギメ東洋美術館、アメリカのボストン美術館には5万点、プーシキン美術館には3万点など、万点以上収蔵しているところも少なくない のです。
後に、林忠正は心無い日本の権威のある美術関係者から日本の芸術を海外に売り渡した国賊だと言われてしまいました。
しかし、林忠正たちが浮世絵を国外に流出させなければ沢山の浮世絵が消滅してしまったので、国賊どころか浮世絵の救世主だったのです。
大体、日本の権威ある美術関係者や金持ちは浮世絵を低俗なものとしていたのですから、何も言えないはずなのです。
日本人はどういうわけか自国の芸術品をないがしろにする傾向があるようです。
この浮世絵のことに関しても、1700年代の古浮世絵が欧米の金持ち、知識人に認められたから、それを国外に出されたのは悔しいとなっていますが、あくまでも、欧米の金持ちと知識人が認めたのであって、マネとか印象派の画家たちが認めた浮世絵とは違うのです。
マネとか印象派の画家たちが認めた浮世絵は幕末の浮世絵です。
そして、その幕末の浮世絵に関しては現代でも、金持ちや知識人たちは価値を認めていません。
マネや印象派に影響を与えた浮世絵なのですから、日本人が誇りをもって幕末の浮世絵を保護しなければならないのに、そのままほっとかれています。
日本国が保護をしないのなら金持ちが保護すべきなのに金持ちも何もしません。
浮世絵の展示会と言えば1700年代の古浮世絵が中心です。
幕末、1800年代の浮世絵は、北斎や広重の『保栄堂版東海道五十三次』など一部の浮世絵しか一流美術館では展示しません。
絵画の革命をした印象派に影響を与えたのは幕末の浮世絵なのに現代では見捨てられています。
何故でしょう?
その理由は幕末の浮世絵がポップアートだったからです。
ポップアートと言えば1960年代に出てきたアメリカのロイ・リキテンスタインやアンディ・ウォーホルによって認められた芸術ですが、江戸では幕末の浮世絵がその先取りをしていたのです。
欧米では1950年代くらいからやっとポップアートを認め始めたのですから1800年代の欧米の知識人や金持ちが理解できないのは当然です。
それでもマネを始め、前衛芸術家たちは幕末の浮世絵に何かを感じ、その何かが何なのかを突き止め浮世絵技法による新しい絵を描いたのです。
もし、古浮世絵が初めにパリに渡っていたら、ジャポニスムは起こっていたでしょうが、浮世絵による絵画の革命はならなかったかもしれません。
幕末の浮世絵は、はではでの色彩なので、感性の良い人でなければ好きになれない色彩なのです。
それに比べると古浮世絵はしっとりした色彩なので、一般的な感覚の人は好きになる色彩でしょう。
これは、パリの印象派の時代と同じで、一般の人はしっとりとしたアカデミー絵画を好み、一部の進歩的な感覚の人が、原色をちりばめた印象派の絵を理解したのでした。
一般の人が何の知識も持たないで印象派の絵とアカデミー絵画を比べたらほとんどの人がアカデミー絵画を好きだというはずです。
それと同じように古浮世絵と幕末の浮世絵を比べると一般の人のほとんどが古浮世絵の方が好きだというはずです。
しかし、それは絵をちゃんと勉強していないからの感覚なのです。
自由な絵を目指した近代絵画の原点は幕末の浮世絵なのです。
江戸時代の庶民は写楽の役者絵より豊国の役者絵を支持していました(写楽の特別な事情にもよりましたが)。
これは印象派時代の知識人や金持ちに比べ芸術的レベルが低かったわけではありません。
逆に高かったのです。
幕末の浮世絵、現代でいえばポップアートを見慣れていたのですから、レベルも現代レベルよりも上だったのです。
現代では、写楽は6000万円以上です。
それに比べると三代豊国の役者絵は数万円です。
もちろん写楽は点数が少ないというのはありますが、マネと印象派に影響を与えた浮世絵の価値が低く、欧米の金持ちと知識人が価値をあげた古浮世絵の価値が高いというのはおかしな現象でもあります。
そして、欧米人がそのような価値観を持つのは仕方がないとしても、日本人がその欧米の金持ちと知識人の価値観を追従するのはおかしなものです。
出来れば心ある金持ちが幕末の浮世絵の保護をしてくれることを願っています。
ゴッホやモネ、ルノワール1枚の価格で幕末の浮世絵のほとんどが保護されるはずです。
現代も明治初期のように美術品が投げ売りされている
ネットオークション、特にヤフーオークションにより浮世絵を始めとした美術品が暴落しています。
ネットはグローバルな世界を創りますので、情報に関しては個人でも様々な情報を手に入れられるようになりました。
美術品の情報も同じです。
ネットが広まる前は、美術品を手に入れるのに、金持ちは銀座の画廊に行き、ちょっとした金持ちはデパートの展示販売で絵を買い、通は古道具屋や骨董市などで美術品を買っていました。
バブルの時は業者がヤマガタやラッセンなどの版画を豪華な額に入れ、地方をまわり、新聞チラシで客を集め50万円~100万円で売り、それがかなり売れていました。
バブルの時、一般人にとって絵画は憧れで、いつか本物を1枚で良いから手に入れたいという人はかなりいましたが、ほとんどの人は手に入れる方法を知りませんでした。
だから、版画でも本物ならと50万円から100万円のお金を払っても買う人がいたのです。
しかし、現在はネットオークションにより、美術品が大量に売りに出されています。
前記のラッセンのシルクスクリーンの版画(バブルの時50万円~100万)が29,500円で落札されていました。
(引用おわり)
■ゴッホは浮世絵版画から何をまなんだか?
現代の美術家はゴッホと広重の関係は構図の類似性にしか発見できないようだが、それってはずしてるよな。
https://youtu.be/boxyIJrNxRg
What did Van Gogh learn from Japanese prints?
2:01
Van Gogh Museum
2018/03/30 に公開
Van Gogh was looking for a modern, more decorative style of painting. The Japanese prints became his most important example. What exactly did he learn from the prints?
■The Beatles - Eleanor Rigby (From "Yellow Submarine")
動かないはずの静止画に自由な視点のアニメが動き出すと驚いた(静止画がレーヤー化した)
https://youtu.be/HuS5NuXRb5Y
The Beatles - Eleanor Rigby (From "Yellow Submarine")
2:11
The Beatles
2016/08/12 に公開
Celebrating the 50th anniversary of Revolver with the digital release of the video for “Eleanor Rigby” - revisit the album now: http://smarturl.it/thebeatlesrevolver
Released as a double A-side with the song "Yellow Submarine in August 1966, Eleanor Rigby marked a giant leap forward in the way that The Beatles thought about their art, following their exploration of new and more complex musical ideas such as “Day Tripper” and “Paperback Writer”. Written and performed by Paul McCartney as part of the Revolver sessions, this features a string composition from George Martin that helped to change the way that people considered “pop music”.
The film is a sequence originally used in the movie Yellow Submarine", released in July 1968. With it’s surreal, ground-breaking visuals it both brought a new concept of creating a visual video to accompany a song and also ushered in a new style of animation which helped to inspire Terry Gilliam’s animations for the TV comedy series, Monty Python’s Flying Circus.
Music video by The Beatles performing Eleanor Rigby. (C) 2015 Calderstone Productions Limited (a division of Universal Music Group) / Apple Corps Ltd. / Subafilms Ltd
■葛飾北斎は現代のアニメ制作者に統一的な技法をもたらしてくれる。
https://youtu.be/FmFGtsG_EgA
ony White ~ "Hokusai - An Animated Sketchbook"
247,061 回視聴?2008/05/25
5:13
Tony White
チャンネル登録者数 790人
(Note: Fans of this film might like to know about my current personal project, currently in development and seeking funding... http://www.spiritofthegamemovie.com.)
Re 'HOKUSAI': This was my first ever... and still my favorite... short animated film! I created it in my spare time while I was still a director/animator at the Richard Williams Studio in London during the late 1970's. I actually started the film after we had completed 'A Christmas Carol', when I was Richard Williams' own personal assistant at the time. 'Carol' went on to win the first of Dick's three Oscars. When my own 'Hokusai' film won a British Academy Award I moved on to set-up the 'Animus Productions' animation studio... a creative entity I led for a further 20 award-winning years. The film itself was inspired by the wonderful sketchbooks of Hokusai. When I saw them I realized that this artist was indeed a true animator at heart... he just didn't have the knowledge or the technology to be one in his lifetime. I therefore sought to bring his drawings to life for him, as homage to his genius.
■隈研吾の広重美術館はレーヤー構造を表現
https://youtu.be/WIwkmAYOMmg
hiroshige museum.canellas.gonzalez.martinez
2:38
rubenma88
2012/04/12 に公開
■Vincent van Gogh art ALIVE - Atelier des Lumieres (Paris, France) STARRY NIGHT
https://youtu.be/BbgrHnbgoDU
Vincent van Gogh art ALIVE - Atelier des Lumieres (Paris, France) STARRY NIGHT
809,146 回視聴?2019/03/24
3:10
Ine RP Braat
チャンネル登録者数 26.8万人
Vincent van Gogh art ALIVE - Atelier des Lumieres (Paris, France) STARRY NIGH
BREATHTAKING BEAUTIFUL:
Atelier des Lumieres - "Van Gogh, Starry Night" from 22 February to 31 December 2019.
Located between Bastille and Nation, in a former foundry in the eleventh arrondissement of Paris,
the Atelier des Lumieres holds monumental immersive exhibitions.
Using 140 video projectors and a spatialised sound system,
the highly unique multimedia equipment covers a total surface area of 3,300 m2,
extending from the floors to the ceilings and over walls up to 10 m high.
アトリエデルミエールは記念碑的な没入型展覧会を開催します。
140台のビデオプロジェクターと空間音響システムを使用して、
非常にユニークなマルチメディア機器は、3,300 m2の総表面積をカバーし、
床から天井まで、壁の高さ10 mまで。
■黒沢明 『夢』ーゴッホ こんな夢を見た
夢は時間空間の秩序が自由な超主観の世界だからゴッホにはふさわしい。
レーヤーを移動するドラクエな私。
https://youtu.be/3OTj5Qv153U
Akira Kurosawa-Dreams-Vincent Van Gogh
349,943 回視聴?2010/05/09
3:19
monohordo
チャンネル登録者数 652人
Akira Kurosawa's dreams. (1990)
Vincent Van Gogh (part)
Music.Prelude No.15 in D-flat major-F.Chopin
enjoy!
https://ja.wikipedia.org/wiki/夢_(映画) より引用
『夢』(ゆめ、英題:Dreams)は、1990年に公開された、黒澤明監督による日本とアメリカの合作映画
日照り雨」「桃畑」「雪あらし」「トンネル」「鴉」「赤冨士」「鬼哭」「水車のある村」の8話からなるオムニバス形式。黒澤明自身が見た夢を元にしている。各エピソードの前に、「こんな夢を見た」という文字が表示されるが、これは夏目漱石の『夢十夜』における各挿話の書き出しと同じである。
鴉(からす)
「鴉」の撮影地となった北海道大空町のメルヘンの丘
中年になった私がゴッホのアルルの跳ね橋を見ていると、いつしか絵の中に入っていた。
彼はどこにいるのか。彼は「カラスのいる麦畑」にいた。苦悩するゴッホが自作の中を渡り歩く後を、私はついて行く…。
この章では、ショパンの「雨だれの前奏曲」が使用されている。また、台詞は英語とフランス語(日本語は字幕のみ)で演じられている。
== FIN ==