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- CATEGORY歴史・日本建国
スサノオ 素戔男尊の出雲王国は、九州豊ノ国の安心院が本拠地。素戔男尊はニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に豊ノ国で処刑され、島根の出雲へは素戔男尊の子と一族が追放された。スサノオは天照大神に「国譲り」などしていない。
日本の古代史は、大間違いの神話と故事があまりにも多く、間違いの度合いも、悲惨すぎる。
スサノオによる出雲王国は、現代もあの出雲がある、島根ではなく、九州の北東部の豊ノ国を指し、現・大分県、安心院(あじむ)の出雲、が根拠地。
ニギハヤヒ 饒速日尊は、たじからのみこと 手刀男命の手助けで、天の香(具)山の岩屋戸(なつは なつよし 夏羽 焼の荘)で スサノオを処刑。石のスレートで圧死。
もちろんスサノオはニギハヤヒ=天照大神と親子の関係はないし、兄弟関係でもない。
スサノオがニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に「国譲り」した、という物語は創作である。
事実は、スサノオ 素戔男尊は、ニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神 に倒され(殺害され)、実力行使で権力を失う。
■スサノオ 素戔男尊の豊国北伐、出雲王国と豊国
スサノオ 素戔男尊の出雲王国の本拠地は豊ノ国の安心院(あじむ)出雲にあった。
須賀の宮(妻垣神社)を都(拠点)とした、
豊ノ国を中心とした出雲王国は、
銅鐸出土圏の吉野ヶ里から島根の根の国をも含む
スサノオのヤマタのオロチ退治は、島根の出雲地方でなされた物語ではない。
スサノオの八俣のオロチ退治は、九州豊ノ国、でのできごとだった。
いまでも八俣のオロチ退治の神楽は、島根の出雲地方ではなく、豊ノ国豊前、安心院(あじむ)周辺に集中している。
湯布院 亀の井別荘さんでの由布院神楽
亀の井別荘さんでの由布院神楽 DSCN0445
7:53
旅亭 田乃倉 Tanokura
https://youtu.be/xzsfYJOTdMc
2016/05/28 に公開
●出雲の起源は 八雲 出雲 八重垣 スサノオの倭歌で記紀は始まる
『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに八重垣作るその八重垣を』 (古事記)
すがのみや 須賀の宮
ともがき 妻垣 スサノオの妻垣神社=オロチ一族を退治のあとに 須賀の宮。
スサノオの妻垣神社 須賀の宮 は、豊ノ国の宇佐市 安心院(あじむ)に現在もある。
画像 妻垣神社

画像出典: youtube.com
安心院 妻垣神社
http://www.tumagakijinjya.com/
大分県宇佐市安心院町妻垣203番地
■スサノオ 素戔男尊の豊国北伐 の章。
スサノオはオロチ族を破って、ツムガリの剣を得る=オロチ族の長の天村雲の剣(アマノムラクモノツルギ)=ヤマトタケル 倭武尊のとき 草薙の剣(クサナギノツルギ)となる。
スサノオ 素戔男尊は、豊の国の安心院出雲の妻垣神社を出発して、豊の国北部、遠賀湾を望む香春岳へ向けて、北伐。
八俣のオロチ退治のスサノオのつるぎは銅剣で刃が欠ける。天村雲尊のつるぎは鉄剣か?
八俣のオロチのおろち一族=八幡神の起源 八幡神社は豊前に密集
八俣のオロチ退治の神楽は豊前、湯布院など、に密集
●スサノオによる出雲王国は、現代もあの出雲がある、島根ではなく、九州の北東部の豊ノ国を指し、現・大分県、安心院(あじむ)の出雲、が根拠地
スサノオは、安心院の出雲を拠点に、島根の東方と島根西方、九州、吉野ヶ里までの、銅鐸出土圏が示す範囲を領土とする
●ニギハヤヒ 饒速日尊は、たじからのみこと 手刀男命の手助けで、天の香(具)山の岩屋戸(なつは なつよし 夏羽 焼の荘)で スサノオを処刑。石のスレートで圧死。
もちろんスサノオはニギハヤヒと親子の関係はないし、兄弟関係でもない。
●スサノオがニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に「国譲り」した、という物語は創作であって、事実は、スサノオ 素戔男尊は、ニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神 に倒され(殺害され)、実力行使で権力を失う。
出雲大社ができるずっと以前に、出雲は豊の国にあった。スサノオは豊ノ国で倒され、スサノオは島根の出雲にはいなかった。島根へはスサノオの子一族が追いやられ、そこから島根の出雲の勢力はおおきくなることに。。
講演動画:福永晋三『魏志倭人伝を解く!』
スサノオ豊国北伐から神武東征豊国北伐 神功皇后の戦略
●魏志倭人伝を解く!(8月7日_福永晋三先生講演会)
2:27:20
HMK YMT
https://youtu.be/uxayNyTwXLo
2016/08/15 に公開
福永晋三先生講演会(於田川市民会館講堂)平成28年8月7日
・魏志倭人伝を解く!
== FIN ==
スサノオによる出雲王国は、現代もあの出雲がある、島根ではなく、九州の北東部の豊ノ国を指し、現・大分県、安心院(あじむ)の出雲、が根拠地。
ニギハヤヒ 饒速日尊は、たじからのみこと 手刀男命の手助けで、天の香(具)山の岩屋戸(なつは なつよし 夏羽 焼の荘)で スサノオを処刑。石のスレートで圧死。
もちろんスサノオはニギハヤヒ=天照大神と親子の関係はないし、兄弟関係でもない。
スサノオがニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に「国譲り」した、という物語は創作である。
事実は、スサノオ 素戔男尊は、ニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神 に倒され(殺害され)、実力行使で権力を失う。
■スサノオ 素戔男尊の豊国北伐、出雲王国と豊国
スサノオ 素戔男尊の出雲王国の本拠地は豊ノ国の安心院(あじむ)出雲にあった。
須賀の宮(妻垣神社)を都(拠点)とした、
豊ノ国を中心とした出雲王国は、
銅鐸出土圏の吉野ヶ里から島根の根の国をも含む
スサノオのヤマタのオロチ退治は、島根の出雲地方でなされた物語ではない。
スサノオの八俣のオロチ退治は、九州豊ノ国、でのできごとだった。
いまでも八俣のオロチ退治の神楽は、島根の出雲地方ではなく、豊ノ国豊前、安心院(あじむ)周辺に集中している。
湯布院 亀の井別荘さんでの由布院神楽
亀の井別荘さんでの由布院神楽 DSCN0445
7:53
旅亭 田乃倉 Tanokura
https://youtu.be/xzsfYJOTdMc
2016/05/28 に公開
●出雲の起源は 八雲 出雲 八重垣 スサノオの倭歌で記紀は始まる
『八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに八重垣作るその八重垣を』 (古事記)
すがのみや 須賀の宮
ともがき 妻垣 スサノオの妻垣神社=オロチ一族を退治のあとに 須賀の宮。
スサノオの妻垣神社 須賀の宮 は、豊ノ国の宇佐市 安心院(あじむ)に現在もある。
画像 妻垣神社

画像出典: youtube.com
安心院 妻垣神社
http://www.tumagakijinjya.com/
大分県宇佐市安心院町妻垣203番地
■スサノオ 素戔男尊の豊国北伐 の章。
スサノオはオロチ族を破って、ツムガリの剣を得る=オロチ族の長の天村雲の剣(アマノムラクモノツルギ)=ヤマトタケル 倭武尊のとき 草薙の剣(クサナギノツルギ)となる。
スサノオ 素戔男尊は、豊の国の安心院出雲の妻垣神社を出発して、豊の国北部、遠賀湾を望む香春岳へ向けて、北伐。
八俣のオロチ退治のスサノオのつるぎは銅剣で刃が欠ける。天村雲尊のつるぎは鉄剣か?
八俣のオロチのおろち一族=八幡神の起源 八幡神社は豊前に密集
八俣のオロチ退治の神楽は豊前、湯布院など、に密集
●スサノオによる出雲王国は、現代もあの出雲がある、島根ではなく、九州の北東部の豊ノ国を指し、現・大分県、安心院(あじむ)の出雲、が根拠地
スサノオは、安心院の出雲を拠点に、島根の東方と島根西方、九州、吉野ヶ里までの、銅鐸出土圏が示す範囲を領土とする
●ニギハヤヒ 饒速日尊は、たじからのみこと 手刀男命の手助けで、天の香(具)山の岩屋戸(なつは なつよし 夏羽 焼の荘)で スサノオを処刑。石のスレートで圧死。
もちろんスサノオはニギハヤヒと親子の関係はないし、兄弟関係でもない。
●スサノオがニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神に「国譲り」した、という物語は創作であって、事実は、スサノオ 素戔男尊は、ニギハヤヒ 饒速日尊=天照大神 に倒され(殺害され)、実力行使で権力を失う。
出雲大社ができるずっと以前に、出雲は豊の国にあった。スサノオは豊ノ国で倒され、スサノオは島根の出雲にはいなかった。島根へはスサノオの子一族が追いやられ、そこから島根の出雲の勢力はおおきくなることに。。
講演動画:福永晋三『魏志倭人伝を解く!』
スサノオ豊国北伐から神武東征豊国北伐 神功皇后の戦略
●魏志倭人伝を解く!(8月7日_福永晋三先生講演会)
2:27:20
HMK YMT
https://youtu.be/uxayNyTwXLo
2016/08/15 に公開
福永晋三先生講演会(於田川市民会館講堂)平成28年8月7日
・魏志倭人伝を解く!
== FIN ==