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kenchicjunreiのブログ2nd

Author:kenchicjunrei 日々の生活の関心ごとと建築とか、投資、金融政策、支配層のこと、などについて書いています。 記事の多いカテゴリー: 歴史・日本建国 (26)、核と人工知能 (38)、金融と起こされる事件 (45)、金融経済投資 (44)

日本のメディアと政治を乗っ取った例の隣国の勢力が推し進める大阪都、夫婦別姓、戸籍廃止に、いい加減、気をつけなさい。 



■Suspicious: Hunter Biden Pictures『ハンターバイデンの「スキャンダル写真」閲覧しました:そして三浦春馬さんのファン必見情報』

三浦春馬さんを口汚くバッシングしていたのは、日本のメディアに社員として入り込み日本のメディアを乗っ取った例の隣国の勢力。

夫婦別姓を許したら、戸籍廃止となり、日本の文化と制度は完璧に乗っ取られ日本人は終了となる

https://youtu.be/4Cp5sAGJVjk


『ハンターバイデンの「スキャンダル写真」閲覧しました:三浦春馬さんのファン必見情報』第278回【水間条項TV】
11,977 回視聴?2020/10/26
17:15
水間条項TV
チャンネル登録者数 12万人
背景は待乳山聖天



日本のメディアに社員として入り込み日本のメディアを乗っ取った隣国の勢力

◆【元TBS社員の独り事「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう】
http://an-old-traveler.world.coocan.jp/media/media_17_7_28.html



(上記記事を転載はじめ)


 元TBS社員の独り言  「うちの局がこんなになってしまった経緯をお話しましょう」   頂門の一針 2017・7・28


 朝鮮総連の巧妙な圧力から、無試験の在日朝鮮人枠を設けたTBSが除々に在日朝鮮人に乗っ取られる様子が克明に記されています。


  (1) 1960年代~


テレビ放送が始まってまもなくの頃、放送中のちょっとした言葉づかいの問題(例え ば「朝鮮民主人民共和国」 を “北朝鮮” と呼んでしまった、など)に対して

朝鮮総連から会社及び経営幹部の自宅に対して脅迫に近い抗議行動が繰り返される。

彼等はヤクザまがいの風貌で自宅にまで押しかける始末だった



抗議行動に対する「手打ち」として、採用枠に “在日枠” が密かに設けられる。

総連幹部の子弟を中心に入社試験無し(カタチだけの面接)での採用が毎年続く


在日枠の密約を所轄官庁に対して内密にしてもらうよう局側から総連に 「お願い」 をしてさらに弱みを握られるなど、

素人のような甘い対応で身動きがとれなくなっていく



  (2) 1970年代~


政府を叩きさえすれば世論が喝采する狂った時代。

在日社員の 「反日番組」 を 「権力に対するペンの戦い」 「調査報道」 と勘違いした経営幹部が 社内で在日を積極登用

「日本人社員と在日社員に昇進の差別があってはならない」 などと理想論を述べたのは良かったが、

結果を見れば昇進差別をしなかったのは甘い、課長、部長と昇進した在日社員は、
帰化した在日二世を理不尽なまでに優遇する逆差別人事を徹底。

異を唱えた日本人社員は徹底的にマークされ、営業や総務など番組制作の第一線から退けられる



  (3) 1980年代~90年代


昇進した在日社員が主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など、 決定的なポストを占める。

某サヨク週刊誌の在日の朝鮮人編集長(筑紫哲也)をキャスターに迎えたニュース23の番組が学生時代に学生運動に没頭した団塊の世代の視聴者の支持により高い視聴率を得る

1989年の参議院議員選挙では 「土井社会党」 「マドンナブーム」 を 「消費税反対キャンペーン」 で徹底的に援護。

宇野総理のスキャンダルを連日報道し、社会党在日朝鮮人党首を徹底して 「おたかさん」 と呼ぶなど、あからさまな社会党支持。

社会党が地すべり的な勝利。 「山が動いた」 と感動の報道


  (4) 1990年代~2000年代


偏向報道、捏造報道、取材情報を特定の勢力に提供するなど、 報道機関として存在を否定されかねない不祥事が続発。

ウチと同様に 「左翼的」 と呼ばれる朝日新聞、系列のテレビ朝日が、 どちらかといえば 「北京の意」 を汲んだ報道が多く、

その手法が良くも悪くも緻密で計算高い のに対して、ウチの場合、この時期に発生した数多くのトラブルは、ほとんどすべてが 朝鮮半島絡み。



不祥事の内容も、テロを実行した朝鮮カルトの手伝いをしたオウム事件を筆頭に、 粗雑で行き当たりばったり

バブル崩壊以降の景気低迷で、ただでさえ厳しい広告収入が、 「サラ金」 と 「パチンコ」 に大きく依存

まさに、在日朝鮮人の資金で在日朝鮮人が運営しているのがウチの放送局

2005年以降は、もっと露骨なカタチで在日のスターを 「作り上げる」 ような番組制作が為されると思う。


このように各TV局は無試験入社で在日韓国朝鮮人の採用を毎年続けました

もちろん在日朝鮮人たちは日本戸籍をとり日本名で入ってきます。 いわゆる 「なりすまし日本人です」。

その在日韓国朝鮮人社員が昇進して、主要な報道番組のプロデューサーや報道局長など1980年以降、
決定的な権力を持ったポストに、つき始めました


すなわち、在日韓国朝鮮人に各TV局は、乗っ取られていると云う事です

その証拠に、韓流ブーム捏造と韓流ゴリ推しTVが、繰り広げられてきました。


この脅迫で味をしめた朝鮮総連は各局のテレビ局や新聞社をTBSと同じように因縁をつけて脅し、在日枠を設けさせたのです



  NHKも同じです。


こうして在日韓国朝鮮人のなりすまし日本人によって日本のテレビ局が支配されてしまったのです。

日本のメディアを支配した在日は日本社会における 「獅子身中の虫」 です


獅子の身中に住み込んで、これの恩恵を蒙っている虫が、かえって獅子の肉を食って、ついには獅子を死に至らしめる。

つまり組織などの内部にいながら害をなす者や、恩を仇で返す者たちです。

在日に支配されたメディアは、戦争の恐怖を煽って安倍政権の足を引っ張り退陣させる動きを活発化させています。


 井上 弘 株式会社東京放送ホールディングス及び株式会社TBSテレビ代表取締役会長。

東京都立両国高等学校、東京大学文学部社会学科卒業。

1963年(昭和38年)4月: 株式会社東京放送入社後は主に営業畑や経理畑を歩み、30代のときに税理士試験に合格。

尚、現在に至るまで番組制作の経験は一度もない。


  過去の発言

1998年 新人の入社式上での発言  「テレビは洗脳装置。 嘘でも放送しちゃえばそれが真実」

2002年 新人の入社式上での発言  「社会を支配しているのはテレビ。 これからは私が日本を支配するわけです」

2003年 新人の入社式上での発言  「日本人はバカばかりだから、我々テレビ人が指導監督してやっとるんです」

2007年6月6日定例会見  「ばっかじゃないか。 非常に腹立たしいし不愉快。

なお、この「ばっかじゃないか」発言に関し、7月4日の定例会見で「私自身の発言をおわびしたい」と謝罪している。

2007年4月25日定例会見 「TBSをバッシング風に取り上げるのは、おかしいのではないか。 あらためて記事の軽重について、判断いただきたい」
            (TBSの度重なる不祥事に対するコメントとして)



  ■恐ろしい事実: 韓国の報道局が日本の報道局の中にあるという事実


 韓国文化放送 東京都港区台場 2-4-8 18F

 フジテレビジョン 東京都港区台場 2-4-8



 韓国聯合 東京都港区赤坂 5-3-6

 TBSテレビ 東京都港区赤坂 5-3-6



 大韓毎日 東京都港区港南 2-3-13 4F

 東京新聞 東京都港区港南 2-3-13



 朝鮮日報 東京都千代田区一ツ橋 1-1 4F

 毎日新聞東京本社 東京都千代田区一ツ橋 1-1-1



 韓国日報 東京都千代田区大手町 1-7-1 8F

 読売新聞東京本社 東京都千代田区大手町 1-7-1



 東亜日報 東京都中央区築地 5-3-2

 朝日新聞東京本社 東京都中央区築地 5-3-2



 韓国放送公社 東京都渋谷区神南 2-2-1東館 710-C

 NHK放送センター 東京都渋谷区神南 2-2-1


  (情報は上記サイトとウィキペリアから)


マスゴミが乗っ取られたということは日本が乗っ取られたことに等しい。

まわりのお花畑さんたちを覚醒するよう、ひとりひとりが次の世代へ平和な日本を継いでもらうためにも頑張りたい



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忘れ得ぬ言葉
   メディア、ブログからの抜粋
 海外事情

評論集

歴史探訪


(転載おわり)




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ニュースキャスター筑紫哲也を斬る―このままテレビの偏向報道を許していいのか
水間 政憲
https://www.amazon.co.jp/s?k=481740549X




●本書へのレビュー 上記amazonより

according to the conservative
5つ星のうち4.0  日本人へ贖罪意識植え付けを計画的に実践
2006年5月22日に日本でレビュー済み

本書は、筑紫氏が海外勢力と連携して日本の崩壊を企てる獅子身中の虫で、

ニュース23は報道番組の名を騙った反日扇動番組であることを示します。

ずばり、日本人に贖罪意識を強く植え付けることが狙いです。この謀略に

気づいていない大多数の国民の目に一読頂きたいです。筑紫氏の主張の矛

盾、議論のすり替え、姑息なレトリックを紹介します。GHQ統制化でなされ

た公職追放を良く知る筑紫氏は、GHQの"War Guilty Imformation Program"

の忠実な実践者です。別冊宝島の筑紫哲也「妄言」の研究もお勧めです。



POULSDN
5つ星のうち5.0  慰安婦問題について
2007年3月10日に日本でレビュー済み

3月5日の多事争論で筑紫哲也は、慰安婦問題での安倍総理の答弁について
「業者にそういうこと(強制連行)をやらせたことに強制性があるという、まあ日本人が聞いてもわからない説明であります」
と述べている。
まず安倍総理はそうは述べていないし、「やらせ」た証拠もない。
通達の1枚たりともない。
「悪質な業者を取り締まれ」という通達ならある。
発言を捏造しておいて、日本人が聞いてもわからないとしている。
汚いとしか言いようがない。
慰安婦問題については、小林よしのり著『戦争論2』の「総括・従軍慰安婦」だけでいいから、ぜひ読んでほしい。



まっす
5つ星のうち5.0  やはり左翼
2007年1月31日に日本でレビュー済み

筑紫氏はこの国の伝統をメディアを使って壊そうとしている。特に女系天皇待望論など暴挙としか言いようが無い。このような事を書き込みをしていれば 右翼呼ばわりをされる事がある しかし、どちらが正論かは一目瞭然でしょう。当たり前の発言をすれば右翼と呼ばれ、左翼が罷り通る傾向を造ったのが 筑紫氏である。この本を読み 筑紫氏の暴挙をくいとめろ。



我々は地球人です
殿堂入り
5つ星のうち5.0 鋭い。
2004年3月12日に日本でレビュー済み

別冊宝島リアルの方を読んでる方、こちらも是非。
内容、両方とも似たような内容ですが前者の方がちょっと「変さ」を前面に押し出しているのに対して、この本はかなり突っ込みが鋭いです。あくまでジャーナリストとしての筑紫氏の偏向さ「そのもの」を真正面から批判する内容になってかなり読み応えがありますね。具体的に何処がどうオカシイのか今までボンヤリしていた部分がハッキリ認識できますので。…わが国の急速な右傾化により(それが良い事か悪い事かは別にして)批判ごうごうされても幾ら叩かれても未だに現在進行形でTV出演を続ける筑紫氏…もういい加減に引退したらどうでしょうか。晩節汚しまくりです。






https://ja.wikipedia.org/wiki/筑紫哲也  の記事を転載はじめ

筑紫哲也


出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


mizuma-2.jpg
ホワイトハウスのルーズベルトルームで
『筑紫哲也 NEWS23』収録時の筑紫哲也。
(1998年10月19日)


生誕 1935年6月23日
日本の旗 日本、大分県日田市

死没 2008年11月7日(73歳没)

日本の旗 日本、東京都
出身校 早稲田大学政治経済学部経済学科
職業 ジャーナリスト
ニュースキャスター

活動期間 1959年 - 2008年
肩書き 朝日新聞記者(1959年 - 1984年)
「朝日ジャーナル」編集長(1984年 - 1987年)
朝日新聞編集委員(ニューヨーク駐在、1987年 - 1989年)
TBS『筑紫哲也 NEWS23』メインキャスター(1989年 - 2008年)
立命館大学客員教授
「週刊金曜日」編集委員 など


配偶者 筑紫房子
子供 筑紫拓也(長男)
筑紫ゆうな(次女)

受賞 日本記者クラブ賞(2008年)
筑紫 哲也(ちくし てつや、1935年(昭和10年)6月23日 - 2008年(平成20年)11月7日)は、日本の元ジャーナリスト、ニュースキャスター。

朝日新聞社記者、朝日ジャーナル編集長、TBSテレビ『筑紫哲也 NEWS23』メインキャスターを務めた



来歴
生い立ちと朝日新聞社時代
1935年(昭和10年)、大分県日田市で東京電力勤務の筑紫和臣の長男として生まれた[1]。静岡県立沼津東高等学校および東京都立小山台高等学校を経て、早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。

ニューヨーク勤務の1989年(平成元年)夏、再度TBSからの打診[2][リンク切れ] を受け朝日新聞社を退社。同年10月に『筑紫哲也 NEWS23』を開始することとなる[3]。

『筑紫哲也 NEWS23』キャスターとして
彼のジャーナリストとしての社会的な発言には、毀誉褒貶・賛否両論あったが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、以降は『ニュースステーション』のキャスター・久米宏と並び民放ニュースキャスターの顔として広く認知された。久米宏とは平日夜のニュース番組の視聴率を激しく争ったが「広島東洋カープのファン」という共通点があったため、日刊スポーツの企画で1991年(平成3年)の西武ライオンズとの日本シリーズを仲良く観戦している[4]。久米は「筑紫さんは戦争の歴史を刻んだ沖縄と広島に心を寄せ、地方球団、市民球団のカープを愛していました。筑紫さんは、"反中央"、"反権力"という自分の性格をカープに重ねたのではないか」と述べている[4]。

1993年(平成5年)、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしての業績に対して、第30回ギャラクシー賞・テレビ部門個人賞を受賞[5]。

国会議員の年金未納問題を批判していたが、2004年(平成16年)5月13日放送分の『NEWS23』で、自身の年金未納が発覚(1989年から92年6月までの2年11か月)を謝罪し、翌日から一時期番組の出演を見合わせた[6]。

晩年
2007年5月14日放送の『NEWS23』で初期の肺癌であることを告白[7][リンク切れ]。2008年(平成20年)に「テレビ報道の社会的役割の向上に貢献した」として、日本記者クラブ賞を受賞[8][9]。同年11月7日午後、肺癌のため東京都内の病院で死去した。享年74(満73歳没)[10][リンク切れ]。真裏の報道番組同士のライバル関係にあった久米宏、古舘伊知郎らが自らの番組でその死を悼んだ[11][リンク切れ][12][リンク切れ]。

没後
死去後の遺産相続の際に7000万円の申告漏れを東京国税局から指摘され、そのうちの海外口座の4000万円は意図的な資産隠しを行ったとされ重加算税を含む約1700万円の追徴課税となった[誰?][13][リンク切れ]。

2013年1月、BS-TBSにおいて、ドキュメンタリー『筑紫哲也 明日への伝言〜「残日録」をたどる旅』が放映されることとなった[14]。



スタンス・評価
『NEWS23』でのジャーナリスト活動とその賛否については「筑紫哲也 NEWS23#評価」を参照
リベラル派文化人の代表的存在だが、報道姿勢について賛否が分かれることも多かった。その一方で野村秋介と親交があり、それを阿川佐和子に驚かれたことがあるように、保守的姿勢の人物に対しても許容している側面があり[15][リンク切れ]、これ以外にも筑紫と親交の深かった保守系の政治家やジャーナリストも多く、筑紫の葬儀には保守派の大物議員や有名ジャーナリストの参列も見られた。元内閣総理大臣小泉純一郎はイラク戦争でアメリカを支持していたので対極の立場にあったが、上杉隆によれば、プライベートでは首相官邸に小泉を訪ね、オペラ談義に花を咲かせることもあったのだという[16]。また、後述のように過去の行き過ぎた言動や報道姿勢を反省する側面もみられていた[17]。


肯定的評価
『NEWS23』でサブキャスターを務めた草野満代は「テレビの世界では、ドキュメンタリー番組をコンスタントに作り続けることが難しい状況が続いています。でも『NEWS23』ではよく、20分くらいのドキュメンタリーを入れこみました。ほかのニュースをカットしてでも、ドキュメンタリーを伝える場を守り続けたのが筑紫さんです」と評している[18]。

井上陽水は「日曜夕刊!こちらデスク」で自身の楽曲「傘がない」の歌詞の「テレビではわが国の将来の問題を 誰かが深刻な顔をしてしゃべってる」を取り上げた回を視聴し「ジャーナリズムに身を置きながら、ジャーナリズムを突き放して見ることができる。ある意味で、ユーモアがわかる人なんだ」と感じたことを話している。それもあって同番組の最終回に出演し、「傘がない」を含んだ3曲を歌唱した。その後も井上は「NEWS23」に楽曲提供をしたり、筑紫と麻雀をするなど、親交を深めていった。なお、筑紫と井上には政治や家庭などの立ち入った話はしないという暗黙の了解があった。井上は「筑紫さんの功績のひとつは、ユーモアの大切さを意識されていたことだと思います。この真面目な国では、深刻そうに語ることが求められて、ちょっとした笑いや諧謔も『不真面目だ』とか言って、許されないところがありますから。ユーモアを口にしたり受け止めたりするには、余裕がないとできません。番組では、『なかなか面白い冗談を言うな』という感じではかならずしもなかったのですが、ユーモアがもつ可能性に注目していた、という意味で特別だったと思います」「政治家なんかにしてもね、筑紫さんならということで出演した方もいらっしゃるんじゃないでしょうか。鷹揚で優しいからなのか、どんなものでもまずは肯定しようとするスタンスがあったようにも思います」「筑紫さんは『観察者』だったと思います。へたに才能があると『演者』になろうとして、観察者にはなれない。自分が演じるのではなく、演じている誰かを見たり、世の中に紹介したりするという意味で、観察者のプロだったといえるのかもしれません」と評している[19]。


否定的評価
保守派論壇からは筑紫が出演した番組の報道姿勢と合わせて特攻隊や[20]北朝鮮による日本人拉致問題に関する言動などで[21] 強い批判を受けることが多かった。
吉本隆明は、テレビキャスターの筑紫や久米宏は、自分を棚上げにして、キレイごとやカッコいいことをいって、そのうえ他人にはキツイことばかり要求しているとし、「民衆の味方です」みたいな顔して発言をしているが、果たして筑紫や久米が普通の民衆なのかあるいは民主主義が身についているかといえば、そうではないと批判している[22]。
上杉隆等は筑紫の打ち立てた功績は揺るぎないものであるとしながらも、ジャーナリストの頂点まで上り詰めた晩年の筑紫に関しては、議論で追い詰められても反論しようとしなかったり、思想信条による議論よりも友情を優先するようになっていたことに対して批判的にとらえている[16]。

田中康夫とは『朝日ジャーナル』時代に「若者たちの神々」最終回で対談し、これがきっかけとなり「ファディッシュ考現学」の連載を依頼した。筑紫の「現場主義」に田中は影響を受けたものの、その後は距離が開くようになり特に田中が厳しい評価を下していた細川護熙内閣に対して、筑紫が無批判であったことに関して「筑紫哲也朽ちたり」と評した。その後筑紫からの取材に関しての直接の返答はなく[23]、「どう曲がって伝わったのか、私が当人の制止をふり切って撮影を強行したと非難するコラムを書いた作家がいた。おそらく放送は観ていなかったのだろうが、粘着気質なことで知られるこの作家は以来、未だにそのことにこだわっていろいろ書き続けているらしい(私は読んでいないが)。」と著書内で記すのみであった[24]。その後田中は何度か筑紫と対面する機会があったことが日記から分かるものの、筑紫が亡くなった前後の「ペログリ日記」にも筑紫死去に関しての言及はなかった[25][リンク切れ]。一方で筑紫は『NEWS23』内などでその後も田中を応援し続けていたことや、2人に引き続き親交が存在したことを記す人物もいる[26]。

元首相の森喜朗は、月刊誌『Will』にて自らの内閣がマスコミに叩かれた背景として、自身の所属していた福田派の敵対派閥と懇意にしている官邸記者達が多かったことを一因に挙げ、続けて筑紫がある結婚式で「今日は、森前総理も見えていますが、森政権時代、我々も『森を潰せ』という戦略で少しやりすぎだったと思っています。一国の総理とメディアの間には、ある程度の緊張感が必要で、ある程度の批判はする。しかし、森さんについてはやりすぎたという反省がある」と述べ、森は「何をいまさら」という気分だったと述べている[17]。


筑紫の「沖縄=戦争と基地の悲劇の島」という沖縄観はステレオタイプという批判がある。日本経済新聞社元那覇支局長大久保潤と篠原章の共著『沖縄の不都合な真実』(新潮新書、2015年、142-143p)「第6章本土がつくったオキナワイメージ」では、琉球史研究の第一人者で副知事だった高良倉吉が、「いつのまにか、沖縄人は大江健三郎と筑紫哲也が言う被害者沖縄のイメージ通りに振る舞うクセが付いてしまった」と発言して、筑紫の沖縄観が沖縄県内で定着した結果、戦争も基地も被害者の視点だけで語り、自立に向けた議論を阻み、「日本はなんとかしろ」という依存体質や陳情文化が一般人にも蔓延したことを解説したこと、「沖縄が自立できないのは筑紫哲也のせいだ」という言葉を、戦後60年の取材中に地元の複数人から聞いたことが触れられている。

沖縄に家系を持つ与那原恵は、『迷惑な沖縄愛』という小論を別冊宝島Real『筑紫哲也「妄言」の研究』に寄稿し、News23でも何度も特集された95年の米兵による少女暴行事件の抗議集会は自発的に集まった人が多数を占めたが、沖縄人に強く訴えかけた大きな理由は、被害者が「少女」』だったこと、沖縄のこの種の集会は、中学生や高校生の少女が作文や詩を読み上げるが、この集会でも普天間高校の女子高生が作文を読み、彼女は数年間にわたってNews23に取材されることになったが、筑紫に仮託された「沖縄の少女」というイメージに縛られるのはいやだろうな、と述べている。

また、筑紫が沖縄を愛するのは、自分は無知な少年だったから軍国少年に染め上げられてしまったのだという戦争を止められなかった大人への恨みを重ねることができるのは、沖縄を象徴する「少女」であり、無垢で清らかな自分と日本と米国の大国の論理で振り回されてしまう被害者としての沖縄という感覚を共有できると思っているからだが、沖縄戦の実相は複雑であり、また沖縄は複雑な感情や打算がうずまく島でもあり、人間の暮らしとはそういうものであり、沖縄ではかつての左翼的言説に人々がなびかなくなっており、左翼が沖縄に仮託して、自分たちの言いたいことを言っているに過ぎないことに気づいてしまったこと、そして、この先も沖縄に関心を持ち報道していくなら、沖縄の現実や複雑な思いや変化を正確に見て、筑紫が沖縄人に好かれていないという事実も直視すべき、と述べている。


その他
NPO活動中の辻元清美に政界入りを勧めたことでも知られる[27][リンク切れ]。彼女の政治団体に夫人名義で寄付を行っていた(平成13年9月14日付官報・号外196)。

縁戚
瀧廉太郎との縁
瀧廉太郎は大伯父(滝の妹・トミが筑紫の母方の祖母)[28][29]。筑紫自身はかつて「私には音楽の才能がないので、私が『瀧廉太郎の親戚』であるということを非常に戸惑っていた」と述懐している。筑紫は1993年から、竹田市にある瀧廉太郎念館の名誉館長を務めていた

人物
ヘビースモーカー
ハイライトとマルボロの赤を1日3箱吸っていたヘビースモーカーだった。肺癌になって禁煙した後も「一服できないと面白くない」「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。(たばこの喫煙は)人類が発明した偉大な文化であり、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに人生を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」「癌の原因はストレスで、たばこはきっかけにすぎない」と語った[30]。

出演
『NEWS23』以後、TBSと専属契約を結んでおり、基本的にテレビ出演はTBS系列の放送局に絞っていた。ただし、フジテレビ『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』にVTR出演したり、年に1回テレビ朝日の特番にゲスト出演していた。

テレビ
日曜夕刊!こちらデスク(テレビ朝日) - パーソナリティ
ザ・権力!(テレビ朝日)
TVスクープ(テレビ朝日)
朝まで生テレビ!(テレビ朝日) - 第2回の討論司会
元旦まで感動生放送!史上最大39時間テレビ - 総合司会を担当。1992年12月30日から1993年1月1日まで。
森田一義アワー 笑っていいとも!(フジテレビ) - テレフォンショッキングゲスト。1983年4月30日放送。
筑紫哲也 NEWS23→NEWS23(TBS) - メインキャスター、次代の後藤謙次就任以降はスペシャルアンカー(特別キャスター)として不定期出演
クイズ地球まるかじり(テレビ東京)
ラジオ
筑紫哲也のニュース・ジョッキー(TBSラジオ)
筑紫哲也のドキュメントにっぽん(TBSラジオ)
荒川強啓 デイ・キャッチ!(TBSラジオ) - ゲスト
映画
メイク・アップ(1987年、ニュー・センチュリー・プロデューサーズ) - 客 役
青空に一番近い場所(1994年、サードステージ=東京テアトル) - 屋上の客 役
霧の子午線(1996年、東映) - 宮本 役

著書
『筑紫哲也の 乱世を生きよ!―大変な時代を生きるヒント』(日本経済新聞社)ISBN 4532162424
『筑紫哲也の この「くに」のゆくえ』(日本経済新聞社)ISBN 4532161924
『沖縄がすべて』(照屋林助との共著。河出書房新社)ISBN 4309011721
『筑紫哲也の世世世(ゆーゆーゆー) パート3』(沖縄タイムス社)ISBN 4871271382
『日本23時―今ここにある危機』(小沢書店)ISBN 4755103428
『マイ・アメリカン・ノート ポトマックの両岸』(朝日新聞社)ISBN 4022602678
『メディアの海を漂流して』(朝日文庫)ISBN 4022603402
『若者たちの神々』1〜4(朝日新聞社) - 1984年から1985年の若者たちの“神々(20-40代)”50人との対談集。
『若者たちの大神』(朝日新聞社) - 1986年から1987年の若者たちの“大神(50代以上)”22人との対談集。
『新人類図鑑』1・2(朝日文庫) 1986年刊 - 対談時10-20代の若者34人との対談集。
『元気印の女たち』(すずさわ書房) 1987年刊 - 39人の活躍する女性たちとの対談集。

筑紫を批判する文献
別冊宝島Real編集部『筑紫哲也「妄言」の研究-「NEWS23」、その印象操作&偏向報道の作られ方』 ISBN 4796638482
水間政憲『ニュースキャスター筑紫哲也を斬る‐このままテレビの偏向報道を許していいのか もはや中国、北朝鮮の代弁者か』 ISBN 481740549X
三輪和雄『偏なテレビの直し方―日本をダメにした久米宏と筑紫哲也』 ISBN 4793801455

中宮崇『天晴れ! 筑紫哲也NEWS23』 ISBN 4166604945
関連項目・人物
筑紫哲也 NEWS23
忌野清志郎
和田アキ子 - 生前親交が深く、筑紫のことを『てっちゃん』という愛称で呼んでいた。
野村秋介 - 思想的には正反対だが友人として交流があった。
久米宏 - 「筑紫哲也 NEWS23」のライバル番組「ニュースステーション」のメインキャスター。平日最終版のニュースの概念を大変革させた人物。
脚注・出典
[脚注の使い方]
^ 『潮』第4-6号、潮出版社, 1993、p240
^ 筑紫拓也さん(1) 23キャスター就任、悩む父の背中を押した - 特集 - BOOK asahi.com(朝日新聞社) 2010年11月5日
^ 『ニュースキャスター』(筑紫哲也著、集英社新書・2002年)、『無名記者の挽歌』(中島清成著、中央公論新社・2009年)
^ a b 中国新聞 日刊 2016年10月9日28面『V7 私の鯉心(6) 久米宏さん』
^ “ギャラクシー賞 第30回(1992年度)”. 放送批評懇談会. 2020年7月26日閲覧。
^ 「筑紫哲也氏も2年11ヵ月 番組で陳謝」『毎日新聞』2004年5月14日
^ 筑紫哲也 (2007年5月14日), “News23 多事争論 5月14日(月)「がんを生きぬく」” (プレスリリース), 筑紫哲也NEWS23 2007年5月14日閲覧。
^ “筑紫哲也キャスターに日本記者クラブ賞”. 日刊スポーツ. (2008年4月24日) 2020年7月26日閲覧。
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^ “筑紫哲也さん死去 NEWS23前キャスター 73歳”. asahi.com (朝日新聞社). (2008年11月7日)
^ “久米宏氏「後ろに筑紫さんがいたから安心」”. スポーツニッポン. (2008年11月9日)
^ 古舘、TV番組で“先輩”筑紫さん偲ぶ SANSPO.COM
^ 筑紫哲也氏の遺産で申告漏れ…nhk 2011/7/7
^ 筑紫哲也 明日への伝言〜「残日録」をたどる旅
^ 女神(5)阿川佐和子さん ニコニコ顔に負けて、つい… asahi.com
^ a b 「筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか」『週刊上杉隆』ダイヤモンド社HP 2008年11月13日
^ a b 森喜朗(聞き手大下英治)「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『WiLL』2007年9月P51-52
^ “女神(2)草野満代さん オンエア3秒前まで雑談していた”. asahi.com. 朝日新聞デジタル (2010年11月5日). 2010年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月26日閲覧。
^ “井上陽水さん(1)筑紫さんの一言から生まれた「最後のニュース」”. asahi.com. 朝日新聞デジタル (2010年11月5日). 2010年11月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月26日閲覧。
^ 「特攻隊を「自爆テロリスト」呼ばわりした「筑紫哲也」」『週刊新潮』2004年10月14日号、新潮社、 145-146頁。
^ 西村幸祐「拉致家族と『朝日新聞』&筑紫哲也氏の深すぎる溝」(『反日の構造』 ISBN 4569639968 所収)など。
^ 吉本隆明『私の「戦争論」』ぶんか社、1999年8月。ISBN 978-4821106844。75頁
^ 田中康夫「ゲンチャリにまたがって」『神戸震災日記』所収、新潮社、文庫版181ページ ISBN 978-4101434087
^ 筑紫哲也『ニュースキャスター』、集英社新書版200-202ページ ISBN 978-4087201451
^ 筑紫死亡前後のペログリ日記
^ 及川健二のパリ修行日記 2009年10月1日
^ “『多事争論』貫き、戦後日本の姿追う 筑紫哲也さん死去”. asahi.com (朝日新聞社). (2008年11月8日):辻元清美が自宅を訪れた際に、開口一番で「やれ」(出馬しろという意味)と言い切られた。「泥船だからこそ乗れ。市民の政党に変えろ」。その後、ジャーナリストの領分を逸脱しているとの批判もあったが、「おれには政治家辻元清美の製造元責任がある」と言い続けた。
^ 瀧廉太郎 一般社団法人ひじ町ツーリズム協会
^ 瀧廉太郎について 日出ロータリー週報、第1591回例会平成29年11月07日(火)例会記録No.15
^ “特集ワイド:がんと闘う筑紫哲也さんに聞く”. 毎日jp (毎日新聞). (2007年11月27日). オリジナルの2007年11月29日時点におけるアーカイブ。 2015年3月9日閲覧。
外部リンク
WEB多事争論(筑紫哲也 日本記者クラブ賞受賞記念サイト)
筑紫哲也「始終至智への旅」(日刊ブログ新聞ぶらっと! 2007.11.19 - 2008.07.14・閉鎖)


(転載おわり)



== FIN ==




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