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kenchicjunreiのブログ2nd

Author:kenchicjunrei 日々の生活の関心ごとと建築とか、投資、金融政策、支配層のこと、などについて書いています。 記事の多いカテゴリー: 歴史・日本建国 (26)、核と人工知能 (38)、金融と起こされる事件 (45)、金融経済投資 (44)

絶望的に誤解されている日本古代史・建国史についての簡単な正解過ぎるはなし。 



飛鳥時代の都 太宰府 と 豊前京都


■飛鳥時代の都 倭国本朝 筑紫国の都=太宰府 と 倭国東朝 豊国の都=豊前京都


倭国本朝 筑紫国の都=太宰府に、『日出処の天子』=阿毎(あめ)のタリシヒコ出現

多利思北孤(たりしひこ)は、『隋書』「卷八十一 列傳第四十六 東夷 俀國」で記述される倭国王である。『隋書』では他の中国史書が「倭」としている文字を「俀」と記述している[1]。『北史』にも記されている。

阿毎多利思北孤の事績: 遣隋使派遣、冠位十二階、十七条の憲法を定める。


倭国東朝 豊国の都=豊前京都に、蘇我一族と用明天皇、崇峻天皇、推古天皇


●「大化の改新」は今日では、事件としては「乙巳の変(いっしのへん)」といわれ、通説ではそれは「奈良の大和」の天皇家とそれを脅かす蘇我氏一族との抗争だった。

というのが、通説の日本史である。


しかしである。「乙巳の変」大化の改新という新機軸は、奈良ではなく、九州豊国のやまと王朝、九州豊国の天皇家に起こった出来事だった、のである。

中大兄皇子も、(大海人皇子も)、中臣鎌足も、蘇我馬子、蘇我入鹿も、皇極天皇も、みんな、ほかではない豊国『豊前・京都』に居た






阿毎の多利思北孤の像(法隆寺釈迦三尊像光背名:法興元)=聖徳太子ではない

ameno-1
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出典: https://www.youtube.com/watch?v=M-f2ffc0AnM



■福永 晋三氏 「ここにあり邪馬臺国!-卑弥呼が祭った鷹羽の神々、始まりは『ひこ山』から-」


https://www.youtube.com/watch?v=M-f2ffc0AnM


第3部 福永 晋三氏 「ここにあり邪馬臺国!-卑弥呼が祭った鷹羽の神々、始まりは『ひこ山』から-」
1,761 回視聴•2020/11/21
25:13
豊の国古代史研究会




shoki-1 日本書記
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出典:  https://www.youtube.com/watch?v=SHaGW56FjtM



jimmu-1 神武天皇
jimmu-1.jpg
出典:  https://www.youtube.com/watch?v=SHaGW56FjtM




■福永晋三 無料版 ※進歩ver up.神武東征1 シリーズは全5回を予定


https://youtu.be/SHaGW56FjtM


福永晋三 無料版 ※進歩ver up.神武東征1 シリーズは全5回を予定
1,208 回視聴•2020/12/10
23:27
豊の国古代史研究会

2月11日の「建国記念の日」は、実は神武天皇が「辛酉の年の春正月の庚辰の朔に、橿原宮で帝位に即かれた」との日本書紀の記述に拠る祝日である。明治以来の「天長節」の復活である。この「初代神武天皇の東征」についての従来の通説に対し、「神武は筑豊に東征した」との仮説を福永は立てた。その仮説に至った過程に、新たな見解を加え、改訂版「神武東征」をシリーズとして再び発表する。(福永晋三)





http://kenchicjunrei.jp/blog-entry-153.html
日本書紀が隠蔽し、または正しく書かなかったこと。神武、卑弥呼、ヤマトタケル、神功、の真実。それと筑紫国筑後みぬまの皇都(久留米)の紀氏やまと王朝と豊国天氏やまと王朝の並立パラレルワールド



■神武の東征は、火の国菊池から火の国肥前・筑紫国・豊国への東征が、真実の東征。
神武は近畿へ東征などしなかった


しかしこれに、瀬戸内を伝って近畿へ東征の部分を、神武が倒した倭奴(ぬ)国の王・ニギハヤヒ(男神・天照大神)の次男のウマシマジ宇摩志麻遅命が率いる物部族による、豊国から近畿への、ニギハヤヒを始祖とする物部氏東漸(東征)を、すり替えて持ってきて、神武は瀬戸内を伝って近畿へ東征した、としたもの。よくある、「すり替え、入れ替え」である。



■200年代の日本列島の西日本 九州に倭国(やまと国) と 近畿に東鯷(とうてい)国 

卑弥呼は九州・豊国の倭国やまと国で200年女王に。 神功は近畿の東鯷国敦賀の気比を出て320年頃、九州・豊国筑紫国を侵攻



■大足彦忍代別天皇(景行)の豊国北伐

子湯県(宮崎県児湯郡・西都市)に幸す。(日向国起源)

火の国句奴国=日向国の大帯日子命(景行)は、日向国から出発して豊前の国、豊の国を侵略し、筑後高良を拠点に肥前の国をも侵略した。

句奴国との戦争(倭国大乱の結末)で敗れた卑弥呼から位を奪った句奴国の卑弥弓呼(ひみくこ)こそが、大帯日子命=景行、大足彦忍代別天皇である



■320年ころ、弱体化した九州豊国やまと王朝に対して、近畿の東鯷国から、ニギハヤヒ系の物部氏勢力の神功が挙兵した


マトタケル倭建命天皇の孫の、忍熊(おしくま)ノ皇子は、入水を選ぶ。草那藝の劍を身に着けて。忍熊ノ皇子が川面に浮かび、草那藝の劍を、神功の家臣で(内縁の)夫の紀武内ノ宿禰が、奪う

・神武天皇が創設した邪馬臺國やまと王朝は倭建命天皇の子孫までの系譜は滅び、ここに神功皇后によって豊国邪馬臺王朝は滅亡した。神功皇后自身は豊国邪馬臺王朝の天皇になった

・仲哀から応神まで79年空白=そのときが15代神功天皇= 豊国の神社では15代神功天皇 16代応神天皇・・・



神功皇后軍の豊国筑紫国征伐と 紀氏王権の 筑紫国やまと王朝成立 皇都筑紫国筑後みぬま三潴大善寺(現・久留米市) それに続く倭の五王の時代

・倭国王 哲(磐井) 岩戸山古墳 別区に裁判所あと(律令制) 筑紫君 哲=磐井の乱 継体と争って敗れる

・哲(磐井)の孫の牛慈 夜須評督となり 草那藝の劍を豊国側に返す


・応神天皇の玄孫の継体天皇、神武が創始した豊国やまと王朝を復権 最後の5年間豊国に 皇宮は、豊国いわれ玉穂宮 稲荷神社 元号制創始 

・欽明天皇558年 年号兄弟 やまと王朝東西に並立




http://kenchicjunrei.jp/blog-entry-27.html
近年架空の人物とされる飛鳥斑鳩にいた聖徳太子は、同じ600年代初頭、九州筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の都・太宰府に天皇として実在した。その地で冠位十二階を制定し、遣隋使を出し、仏教を信仰し半跏思惟の座禅を組み、法興寺=のちに移築され法隆寺、を建立した



600年代初頭、冠位十二階、十七条憲法を制定し、遣隋使を遣わし、仏教を信仰し半跏思惟の座禅を組み、法興寺=のちに移築され法隆寺、を建立した、という事績をなした人物は、ひとりしかいない。

九州筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の都・太宰府に天皇として実在した、日出ずる処の天子
=天皇、多利思北孤(タリシホコ)ということになる




■「日本書紀」は、筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の天皇、多利思北孤による事績を、近畿大和の斑鳩に移植し、膨らませた聖徳太子像を、厩戸皇子、推古天皇の摂政とすることで、実在の聖徳太子=天皇、多利思北孤、ならびに九州筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)を貶め、天皇、多利思北孤、ならびに九州筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の「実在」を、徹底して隠した、のである


日本書紀編纂を命じた天武天皇は、筑紫の邪馬臺國(ヤマト国)の天皇、多利思北孤の子か孫の皇子だった。心的な祖先殺しだ。シェークスピアだな。

ライバルの豊ノ国東朝の天智天皇を黄泉の淵に追い込み、壬申の乱に勝利して、強力な中央集権律令国家を造る門口に立った天武は、天智天皇が制定したヤマト国を「日本」とし、大君に天皇という言葉をあてることを、大陸の権力に正式に認めさせるにあたって、ニニギ(とニギハヤヒ)に始まる万世一系のはずの豊ノ国の系譜とは違う、みずからの出自、神功が豊ノ国の系譜を滅ぼしたその、筑紫の側の王朝の天皇であるという、、過去のしがらみは消しておきたかった

壬申の乱のあと、筑紫豊国のやまと王朝を近畿奈良にいずれ遷都することを決めた天武天皇は、日本書紀編纂を命じるにあたって、やまと王朝が神武いらい九州豊国に存在してきたことを、日本書紀では、抹消してしまうことを硬く決意していた。                                   
ニギハヤヒの遠賀湾豊国での足跡、神武の豊国香春での足跡、卑弥呼の豊国香春での足跡、天皇、多利思北孤の筑紫太宰府での足跡、これらは日本書紀では、天武は、怨念のように徹底、排除させている


自分が生まれた天皇の系譜を消し去りたかった天武天皇は、本当は何者?

草薙の剣に祟られた、といって崩御した天武天皇は、自らの天皇の証明に弱みがあった?


壬申の乱は近畿大和で起きたのではなく、倭国ヤマト王朝でおこなわれた故事である大海人皇子天武天皇は仏門に入るとして豊ノ国山国川の現・山国町耶馬溪の吉野宮に篭った。そして天智天皇は筑紫であり豊ノ国である遠賀湾の岸に、履物だけ残して、帰らぬまま。天智天皇は近畿大和ではなく、豊ノ国ヤマト朝で崩御した




== FIN ==



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