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あの日航機123便墜落撃墜事件に姿を現した、日本の奥の院=国体勢力 に巣くう、国民を密かに武力支配する非合法超法規(国の権力が及ばない)勢力=通称「クロカモ」の正体を 暴き出す。
日本の奥の院=国体勢力 に巣くう、国民を密かに武力支配する非合法超法規(国の権力が及ばない)勢力=通称「クロカモ」の正体を 暴き出す。
非合法超法規勢力=通称「クロカモ」が、日本の歴史にそれとして姿を見せたのが、あの日航機123便墜落撃墜事件、だった。
墜落機の御巣鷹山の現場に、生存者救出のため、のはずの、どこよりも早く、到着し現れた自衛隊が、それだ。
自衛隊のかっこうをした偽自衛隊あるいは自衛隊の非公式展開部隊であり、救出ではなく数十人はいた生存者のとどめをさし、証言者の抹殺と、散らばった証拠物件を回収開始し、証拠隠滅の作業を任務として現場に現れた。
これが、日本における非合法超法規勢力「クロカモ」の出現が、ドキュメントされた、最初のものだ。
「123便」事件の真相は、日本人には隠蔽されている。真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。
当日の現場に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言と、事件を現在まで現場検証し続けた真相追究者による報告があるからである。
・現場には、今も放射性物質が散乱している。
・現場に残された日航「123便」のエンジンに不発のミサイルが突き刺さっている。
・米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残されていた。
・事件後、真相を追究するものたちには、電磁波兵器による攻撃その他妨害弾圧や抹殺が設定される。
現場に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言によると、
不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊が、どの機関よりも早く御巣鷹山に現れた時、現場では数十人の(うめき)声がしていた。
地元のひとが現場から引き返し始め、しばらくすると数十人の(うめき)声は急にしなくなった。
日航「123便」核物質移送撃墜事件には、次の争点がある。
不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊とは、何ものか。
生存者を整然と殺害する自衛隊に似せた国営テロリストのような者たちは何ものか。
事件後、真相を追究するものたちを、電磁波兵器を使用して、攻撃する治安部隊のような国営テロリストのような者たちは、何ものか。
このような自衛隊に似せた治安部隊のような国営テロリストのような者たちと、核物質移送密売の勢力とは、グルであり、チームということになる、のか。
日航「123便」核物質移送と撃墜事件は、いったい誰が、計画し、統括していたのか。
そして、日本の奥の院は、この事件と、このような勢力に関わりはないのか。
たとえば、ヤタ烏(八咫烏)は、大和朝廷由来の天皇の非公然(祈祷祭儀と諜報隠密の)私兵と言われるが、日本国民を監視し秘かに攻撃し殺害もする、このような国営治安非公然テロリストの仕事はしないのか。
日本の奥の院=国体勢力 に巣くう、国民を密かに武力支配する非合法超法規勢力「クロカモ」の正体を暴き出すことにする。
日本の偽皇統に連なるのだろう結社連合、コードネーム「クロカモ」の実体。
■日本の奥の院=国体勢力と、国民 、の関係
国民には、権力側が光源を占有し発光し国民を照らし、国民は眩しくて権力者を見ることができない。が、権力側は、国民を丸裸に見える、この不可逆な光線の光源を独占し所有していること。
これは、ミシェル・フーコーが、近代の管理システム(監獄・刑務所・病院・学校・工場)の起源をそこに見ていた、パノプティコン(panopticon)神殿の構造だ。
そして、国体勢力が、国民側からは自覚されないが、国民に仕掛ける、この神殿での儀式・「枠組み」のひとつは、すでに日本建国時には(秦氏が持ち込んだタルムード・ユダヤとして)入り込んでいた、≪いけにえ≫というものである。
≪いけにえ≫という、暗い脅迫観念と薄暗い情動である。
≪いけにえ≫を供える現代の、パノプティコン神殿は、高熱を秘めた清潔すぎる薄い空気で満たされた≪理知≫を本尊とする工場である。
それは、原爆地上起爆を後継する、≪原子力発電所≫と≪核兵器工場≫と≪国民を丸裸に見み、遠隔支配する人工知能電磁波兵器稼働の地下軍事基地≫だ。
■≪いけにえ≫と、現代のパノプティコン≪核と人工知能≫神殿について、わたしは次のことを告発している。
≪日本の憲法と法律の埒外にいる超法規で闇で透明な「国体」勢力も、以下の超絶冷血な事象においては、闇の権力・イルミナティと冷血な邪悪な勢力に関与されている、と見る事ができる。
●広島 日本のいちばん長い醜い日 根源的階層の選択、原爆投下という国民いけにえ儀式
・原爆投下は日米の軍事談合による人体核実験として進められた。
・広島の爆心予定地には第二総軍(本土決戦用の関西より西日本の主に陸軍)と学徒たち4万5千人がいけにえとして集められていた。原爆の爆発は8時15分と日米ともになっているが、実際には8時6分だった。つまり核が爆発したときはエノラゲイは爆心地上空のヒロシマには来ていなかったのだ。
・日米の原爆についての公式見解とは裏腹に、日本には、原爆は「日本製」で、エノラゲイが投下したのではなく、日米の軍事談合として「地上起爆」であった、という説が根深く燻ぶりつづけていた。≫
●核兵器密造の裏政策を推し進めてきた日本の奥の院は、超法規武装部隊で国民を武力支配
・日本各地で原発を拠点にプルトニウムと核兵器、核ミサイルを密造し続け、
・プラズマ兵器、電磁波兵器による巨大地震津波攻撃を、世界の闇権力で談合、起こす
・人体をターゲットにした脳と生体を遠隔攻撃する人工知能電磁波兵器による「生体乗っ取り」と「生体拷問攻撃」
・人工知能電磁波兵器による「一般市民マインドコントロール」による「集団ストーカー仕立てあげ」、
といった冷血超兵器の、24時間一秒の休み無い稼働で、国民を武力支配。
どうして彼らが裏の勢力として存在できるのか?その権威を形作る「力」の源泉がどこにあるのか? 問題は、この一点に集約される。
かれらにとって、権力のすさまじい源泉となっているのは、---「ねじれ」そのもの、――― 日本の建国の歴史、天皇家の成立の歴史、における、「うそ、偽り、創作、操作、でっちあげ」、に他ならない。
ここに邪悪な、すさまじい冷血な智慧が入り込んでいる。≫
●『新・日本の黒い霧』ブログ主の日月土さんが、その実在する建国以来の「偽りの建国、密約」を保持する勢力との、実際の『密約と核神殿密造の解除交渉』に入っていた。
その一部の様子、
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/0bdddd6c006548667ec08b9f9605812d
Blue Shank Dragon Rised
2016-06-04 01:07:19 | 連絡用記事
(この記事は連絡用です)
それにしても、日本書紀は嘘ばっかりですね。武内の衆、熊野行者の皆々様、とにかく長い間お疲れ様でした。世間を欺く尊きお役勤めは終わりの時を迎えました。もう嫌な仕事はされなくて結構です。後始末はお任せください。当家大御親様に代わってお知らせいたします。
■まったくあるはずがない
「・人体をターゲットにした脳と生体を遠隔攻撃する人工知能電磁波兵器による「生体乗っ取り」と「生体拷問攻撃」
・人工知能電磁波兵器による「一般市民マインドコントロール」による「集団ストーカー仕立てあげ」」
これには、『新・日本の黒い霧』ブログさんの次の記事がある。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2c24ed4fd2564b996d421df05b52fb3a
JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(19)
2013-03-26 19:46:46
●誰にでも化ける集スト部隊
●元公安警察官が語る非公然組織
たまたま元公安警察官の方と酒席でお話する機会があり、本件および123便事件に関連する興味深い話を聞いています。要点を箇条書きにすると
(1)警察権力が及ばない非公然組織がある
(2)彼らが最高位権力という訳ではなく、その上もある
(3)その上の権力は皇室をも配下に置く
(4)自衛隊に似せた武装公安とも呼べる組織がある
(5)成田公安は一般の公安とは別組織である
■クロカモの組織構成について考える
http://kenchicjunrei.blog.fc2.com/blog-entry-43.html
日航機123便撃墜事件(結社グループ間の内乱による日米戦争)の再来となった、結社グループ間の内乱による、東日本大地震(地震兵器テロ)と福島第1原発爆発事故(原子炉爆破テロ) ( を抜粋再録)
日本は今もって米国と交戦状態であり、同時に内戦が勃発しているのです。
太平洋戦争の本質とは何か?それは、「陸軍と海軍の戦い」。
もしも米国と戦争を始めなかったら、おそらく帝国陸軍と海軍の間で内戦が起きていたであろう。
日航機123便撃墜事件の主犯「クロカモ」とは、旧帝国陸軍の残党であり、戦後も密かに組織を温存してきた。
旧帝国陸軍と帝国海軍の、ふたつのグループに、さらに、系列として、在日米陸軍と米国海軍・海兵隊と、それぞれの閥グループが加わる。
太平洋戦争終了後に陸軍閥・海軍閥の違いから次のような大まかな対立構造が発生した。
これに在日米陸軍と米国海軍・海兵隊、このふたつのグループに、国際的な勢力と各国軍が参加。
日航機123便撃墜に関わった勢力とは、日本を結節点とした国際対立構造グループとして色分けすると、だいたい次のようになる。
(A) 旧帝国陸軍派(陸上自衛隊)&在日米陸軍
国内財閥系企業&国際金融資本
協力国政府(独・仏・露・中・その他)
※権威
VS
(B) 旧帝国海軍(海上自衛隊)&米国海軍・海兵隊
国内財閥系企業&国際金融資本
米国政府&日本政府&協力国政府(英・他)
昭和天皇(権威)
日航機123便は、相模湾上空、焼津沖上空 墜落現場へ至る上空で、おそらく核ミサイルの攻撃を受け、上記各勢力が派遣した偵察機、戦闘機と一部上陸軍が、日航機123便墜落現場・[高天原] へ至る上空と山地で、激しく交戦し、ほぼ全滅するほどの戦闘をおこなった。それは突然局地的に発生した多国籍が入り乱れての戦争だった。
日航機123便の積荷「核兵器」をめぐって、ただそれだけのため、にこれだけの戦闘が発生したのである。国際闇の核マーケットに、「それ」を流すために、それを阻止するために、突然の、多国籍が入り乱れての世界戦争が局地的に発生した。
その後、国際闇の核マーケットに、「それ」を流すための、旅客機の積荷「核兵器」をめぐって、ただそれだけのために、2014年のマレーシア航空「370便」失踪事件は起こされたのだった。
上記の文で、参照引用した元記事は:
「新・日本の黒い霧」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9
■隠された日米戦争
2011-03-14 20:51:04 | JAL123便墜落事故 ( を抜粋引用はじめ)
簡単に言えば、日本は今もって米国と交戦状態であり、同時に内戦が勃発しているのです。
1945年8月、表向き太平洋戦争は終結しました。しかし、これはまさしく表向きのお話なのです。
これまで日航機シリーズで何度も"国営テロ集団"という、国内の秘密組織について述べてきましたが、彼らこそ旧帝国陸軍の残党であり、戦後も密かに組織を温存してきたのです。
そして、彼らと活動を共にしたのは、日本を占領し、そこですっかり豪族化してしまった在日米国陸軍系の組織です。
マッカーサーが何度も米国中央政府と対立したことは有名ですが、その背景には旧日本陸軍との癒着構造があったのです。そして、彼らが、同じ旧陸軍系の流れを組む陸上・航空自衛隊に入り込むのには、それほど困難があったとは考えられません。
■「新・日本の黒い霧」、最新で最後の記事は、一年前のお盆の記事。下記のように、
日航123便の墜落現場に現れた、擬似自衛隊=クロカモの、出で立ちのレポートでした。
その制服の生地の程度、縫製の手抜き具合、など。
新・日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9eeb1d4d7dc5bd46d041bff6081ff801
JAL123便墜落事故-真相を追う-31年目の真実
2016-08-12 16:14:27 | JAL123便墜落事故 ( を転載はじめ)
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読者の皆様へ
本日は日航機123便が御巣鷹の尾根に墜落し、多数の乗客乗員がお亡くなりになった日です。520名の乗客乗員の他、軍関係者を中心に知られざる多くの命が失われたことが、これまでの調査により判明しています。
墜落推定時刻は18時56分。僅かでよいので、この時刻にお心を御巣鷹の尾根に向けてください。そして二度とこのようなことが繰り返されないようお祈りください。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
ブログ「(新)日本の黒い霧」
管理人 日月土
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31年前の8月12日、私は小型バイクに乗り東京から長野県松本方面に向かい甲州街道を北上していました。夜少し暗くなり始めた頃に目的地に到着したところ、出会った知人からいきなり「日航機が行方不明になったようだ」と告げられました。その晩、知人宅のテレビで事の成り行きを見守ることになるのですが、その時は多く方々と同じように、たいへんな事故が起きたものだと思っていました。
■今でも忘れられない異質な報道
テレビでは、番組中に流れるテロップや臨時ニュースなどで行方不明機の墜落地点が段々と特定されていくのですが、その時に墜落予測場所が2転3転し、情報が錯綜していたのをはっきりと覚えています。日航機関連情報が相次いで報じられる中、今でも忘れることのできない異質なニューステロップが流されました。
「日航機の救助に向かおうとしていた自衛隊員が射殺された」
後にこの報道は誤報として否定されるのですが、救助に向かった自衛隊員が何で射殺されなければならないのか、誤報だとしてもあまりに突飛な話であり、こんな誤報がなされること自体が当時の私には理解不能でした。
■南相木小学校に集結していた自衛隊
同機墜落後も多くの生存者がいたことを証言されたM氏ですが、実はもう一つ重大な事実を証言されています。テレビ報道では未だに墜落地点が判明していなかった頃、M氏はバイクで通りかかった長野県側の南相木小学校のグランドに、自衛隊の部隊が集結しているのを目撃しています。

図1:南相木小学校の位置関係
(赤:南相木小学校、青:墜落現場、楕円:予想主戦場)

写真1:南相木小学校正門
M氏が現場を目指して南相木村の林道終点地点から入山したのが午後9時頃ですから、自衛隊の集結を目撃したのはそれより前ということになります。まさに一般報道で墜落地点が不明だと大騒ぎしていた頃です。
そして、何より不思議なのが、南相木小学校への部隊展開については、公式記録に残されていないことです。
墜落地点も分からない状況下でそこそこの規模の部隊を展開するのは、普通では考えにくいことです。
もっとも、この証言だけではその部隊が日航機の救助が目的だったかどうかも分かりませんが。少なくとも、自衛隊は南相木村の山間部に関わる何か重大な情報を掴んでいたことだけは類推できます。
本ブログでは米国軍・旧ソ連軍が123便事件に絡み現地に展開し、ごく短時間ではあっても交戦状態が発生しただろうとの説をとっています(詳しくは過去記事をお読みください)。
そして、その主戦場となったのは、墜落地点(御巣鷹の尾根)の西側に続く南相木村の山間地域であり、現在は山ごと土砂が取り除かれ、大規模地下施設である東京電力神流川揚水発電所の一施設である南相木ダムとなっている一帯と推定しています。

写真2:現地で回収した米国U-2偵察機の破片

写真3:現地で回収した旧ソ連Mig-25の破片
米ソ共に当時の高等戦略機を配置している。この早い展開は
事前に日航機撃墜計画を探知していたからこそ可能だった?
南相木小の非公式展開部隊は、当初から救助目的などではなく、これら初期戦闘行動に呼応したものであると解釈するのが、最も合理的な説明なのではないかと思われます。
■偽装自衛隊員と生存者への殺戮行為
123便事件関連記事を書いていて、最も気が滅入るのが生存者に対する非道な行為の数々です。その詳細は「闇夜に蠢く者ーM氏の証言」中に示唆されているだけでなく、M氏の証言を裏付けるように、実際に墜落現場で軍用毒ガス瓶を回収していることが全てを物語っています。

写真4:現地で回収した軍用毒ガス瓶
ここで、昨年の記事「あれから30年、真実が語られる時」に掲載した墜落現場での救出作業中の写真を再掲します

写真5:昨年掲載した写真
ここに映っている自衛隊員の襟元に注目してください。

写真6:全員襟のエッジが張っており、襟章が縫い付けられている。
隊服は全員同じように見えます。ところが、次の写真7を見ると、写真5と少し違うことに気がつきます。

写真7:別の隊員の写真
ここでまた襟元に注目します。

写真8:襟元の比較
①の人物は写真6と同じように襟のエッジが張り、襟章が確認できます。②の人物については襟元の確認はできませんが、肩の位置といい、袖の長さといい、服装自体が全く身体に合っていないのがわかります。この隊員は普段からこんな不格好な隊服を着用していたのでしょうか?③の人物については襟章がなく、左側(向かって右側)のエッジが湾曲しているように見えます。

写真9:子供を抱え上げる隊員
写真9は、抱えられた子供がこの時生きていたのではないかとネット上で騒がれたものですが、隊員の襟元に注目すると、襟章はなくエッジのたわみもはっきりと確認できます。

写真10:陸上自衛隊正規品のジャンパー襟元
ここで、全く同じ隊服ではありませんが、比較のために陸上自衛隊正規支給品のジャンパー(写真10)の襟元を見てみます。襟がたわまないよう、襟の裏にしっかりと縫製がなされています。念のため服飾の専門家に、これら以外の写真を含む現場隊員の隊服を見ていただいたところ、明らかに、他と比べ粗雑な縫製の隊服を着た隊員が混じっているとのコメントをいただきました。
これはどういうことでしょうか?私は、あまりに急な出来事だったため、偽装自衛隊員へ正規品の支給が間に合わず、サイズの確認もままならないまま、粗雑な急造品が宛がわれたのだと推測しています。また、隊服が異なる者同士が集団で行動していることから、正規の隊服を着ていたとしても、それが必ずしも正規の自衛隊員であるとは限らないことを意味すると捉えています。
偽装自衛隊員については、123便事件について鋭い分析を著した角田四郎氏の「疑惑」(1993 早稲田出版)に、「大きな石の裏に、着替が詰められた袋が10数人分隠すように置かれていた」という著者本人の証言とも符号します。
では、昼間に堂々と現れたこの偽装自衛隊員は悲惨な墜落現場で何をしていたのか?これについては、M氏の証言に現れた暗視スコープを着用した(見た目)自衛隊員の集団とほぼ同じ目的であっただろうと推察されます。すなわち
(1)不都合な破片の回収と隠蔽
(2)生存者(事件の目撃者)の抹殺
の2点です。認めたくないことでありますが、上記写真が撮影されてることから分かるように、既にマスコミや地元警察、消防団など大人数が現場で活動している最中、彼らは目立たぬよう不都合品の回収や、生存者の抹殺を行っていたと考えられるのです。そうであればこそ、最初は7人と報道された生存者が、最終的に4人となったことにも合点がいきます。そして、その4人(全員女性)は、みな地元消防団員によって発見されています。衆人環視の中でおそらく彼らも手を下せなかったと考えれば、極めて辻褄の合う話です。

写真11:救出された川上慶子さん(当時12歳)。
彼女の周りに写っているほとんどは上野村消防団や機動隊員であり
(偽装)自衛隊員ではない
写真5、7を見れば分かるように、この自衛隊員たちは、右の胸ポケットに隊服が肩からずれ落ちるほど、重く厚みのある長方形様の何かを忍ばせています。私の信頼する筋からは、それが「反応型炭素菌カプセル」との情報を得ていますが、本当に炭素菌かどうかは確認する術がありません。しかし、反応型の有毒物である可能性は極めて高いと考えられます。反応型とは、使用者に害が及ばないよう、また証拠にならないよう、単体ではそれぞれ無害のA剤、B剤を、人体に投入する直前に反応させ、毒物として使用するというものです。
彼らは一人の生存者(事件の目撃者)も残したくなかったはずですから。
■なぜ生存者(事件の目撃者)を抹殺しなければならなかったのか?
常識的に物事を考えるならば、衆人環視の下でリスクを犯してまで生存者を殺戮するなどあり得ないことです。これを逆に考えると、リスクを犯してでも生存者が見たものを絶対に世に出してはならないとする、隠蔽側の強い意志を感じます。
それでは、「世に出してはならぬ秘事」とはいったい何だったのか?日本国内における米ソの軍事衝突?日本政府、警察や正規自衛隊を超越する闇組織(コードネーム「クロカモ」)の存在?それもあるのでしょうが、ここまでやる理由としてはまだまだ弱いと言えます。
私はすでにその答に辿り着いていますが、事件から31年経過した今でもその情報を全て開示するのは時期尚早であると考えています。もったいぶってるようで申し訳ありませんが、その答に至るに必要な予備知識を本ブログ伝えていきますので、ぜひ今後もご愛読のほどをお願い申し上げます。
どうしても答の片鱗が知りたい方は下の写真12をよく見てください。墜落現場で回収した物の一つで、以前にも掲載したのですが、彼らが隠さなければならない何かの意味が、全てこの中に集約しています。

写真12:墜落現場回収物
* * *
本文で偽装自衛隊員という言い方をしましたが、ならば自衛隊は無罪であると言ってる訳ではありません。特別権限を有する超法規組織の言いなりとなり、この世の非道に手を貸したのは隠しようのない事実だからです。日本国民を守るという当初の誓いはいったいどこに消えてしまったのでしょうか?
冒頭で「射殺された自衛隊員」報道に触れましたが、私は、この話が事実であり、そしてこの隊員こそ命を掛けて国民を守ろうとした本物の自衛隊員であると信じたいです。123便事件から31年が経過しましたが、今からでも遅くありません。真実を国民に伝えて欲しい。真実を語り許しを求めるならば、私はその方を全力で守りたいと思っています。
大君の千代よぶたづの一声に御池の鴨も夢さますらむ (昭和十年 貞明皇后)
遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
(転載おわり)
== FIN ==
非合法超法規勢力=通称「クロカモ」が、日本の歴史にそれとして姿を見せたのが、あの日航機123便墜落撃墜事件、だった。
墜落機の御巣鷹山の現場に、生存者救出のため、のはずの、どこよりも早く、到着し現れた自衛隊が、それだ。
自衛隊のかっこうをした偽自衛隊あるいは自衛隊の非公式展開部隊であり、救出ではなく数十人はいた生存者のとどめをさし、証言者の抹殺と、散らばった証拠物件を回収開始し、証拠隠滅の作業を任務として現場に現れた。
これが、日本における非合法超法規勢力「クロカモ」の出現が、ドキュメントされた、最初のものだ。
「123便」事件の真相は、日本人には隠蔽されている。真相は隠蔽されているのだと、なぜわかるのか。
当日の現場に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言と、事件を現在まで現場検証し続けた真相追究者による報告があるからである。
・現場には、今も放射性物質が散乱している。
・現場に残された日航「123便」のエンジンに不発のミサイルが突き刺さっている。
・米軍の戦闘機とプロペラ機の、撃墜された残骸が残されていた。
・事件後、真相を追究するものたちには、電磁波兵器による攻撃その他妨害弾圧や抹殺が設定される。
現場に警察よりも早く到着した地元のひとの目撃証言によると、
不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊が、どの機関よりも早く御巣鷹山に現れた時、現場では数十人の(うめき)声がしていた。
地元のひとが現場から引き返し始め、しばらくすると数十人の(うめき)声は急にしなくなった。
日航「123便」核物質移送撃墜事件には、次の争点がある。
不審な自衛隊、防毒マスクをし、アーミーナイフを所持した(これらは当時の自衛隊の装備品ではない)自衛隊らしき特殊部隊とは、何ものか。
生存者を整然と殺害する自衛隊に似せた国営テロリストのような者たちは何ものか。
事件後、真相を追究するものたちを、電磁波兵器を使用して、攻撃する治安部隊のような国営テロリストのような者たちは、何ものか。
このような自衛隊に似せた治安部隊のような国営テロリストのような者たちと、核物質移送密売の勢力とは、グルであり、チームということになる、のか。
日航「123便」核物質移送と撃墜事件は、いったい誰が、計画し、統括していたのか。
そして、日本の奥の院は、この事件と、このような勢力に関わりはないのか。
たとえば、ヤタ烏(八咫烏)は、大和朝廷由来の天皇の非公然(祈祷祭儀と諜報隠密の)私兵と言われるが、日本国民を監視し秘かに攻撃し殺害もする、このような国営治安非公然テロリストの仕事はしないのか。
日本の奥の院=国体勢力 に巣くう、国民を密かに武力支配する非合法超法規勢力「クロカモ」の正体を暴き出すことにする。
日本の偽皇統に連なるのだろう結社連合、コードネーム「クロカモ」の実体。
■日本の奥の院=国体勢力と、国民 、の関係
国民には、権力側が光源を占有し発光し国民を照らし、国民は眩しくて権力者を見ることができない。が、権力側は、国民を丸裸に見える、この不可逆な光線の光源を独占し所有していること。
これは、ミシェル・フーコーが、近代の管理システム(監獄・刑務所・病院・学校・工場)の起源をそこに見ていた、パノプティコン(panopticon)神殿の構造だ。
そして、国体勢力が、国民側からは自覚されないが、国民に仕掛ける、この神殿での儀式・「枠組み」のひとつは、すでに日本建国時には(秦氏が持ち込んだタルムード・ユダヤとして)入り込んでいた、≪いけにえ≫というものである。
≪いけにえ≫という、暗い脅迫観念と薄暗い情動である。
≪いけにえ≫を供える現代の、パノプティコン神殿は、高熱を秘めた清潔すぎる薄い空気で満たされた≪理知≫を本尊とする工場である。
それは、原爆地上起爆を後継する、≪原子力発電所≫と≪核兵器工場≫と≪国民を丸裸に見み、遠隔支配する人工知能電磁波兵器稼働の地下軍事基地≫だ。
■≪いけにえ≫と、現代のパノプティコン≪核と人工知能≫神殿について、わたしは次のことを告発している。
≪日本の憲法と法律の埒外にいる超法規で闇で透明な「国体」勢力も、以下の超絶冷血な事象においては、闇の権力・イルミナティと冷血な邪悪な勢力に関与されている、と見る事ができる。
●広島 日本のいちばん長い醜い日 根源的階層の選択、原爆投下という国民いけにえ儀式
・原爆投下は日米の軍事談合による人体核実験として進められた。
・広島の爆心予定地には第二総軍(本土決戦用の関西より西日本の主に陸軍)と学徒たち4万5千人がいけにえとして集められていた。原爆の爆発は8時15分と日米ともになっているが、実際には8時6分だった。つまり核が爆発したときはエノラゲイは爆心地上空のヒロシマには来ていなかったのだ。
・日米の原爆についての公式見解とは裏腹に、日本には、原爆は「日本製」で、エノラゲイが投下したのではなく、日米の軍事談合として「地上起爆」であった、という説が根深く燻ぶりつづけていた。≫
●核兵器密造の裏政策を推し進めてきた日本の奥の院は、超法規武装部隊で国民を武力支配
・日本各地で原発を拠点にプルトニウムと核兵器、核ミサイルを密造し続け、
・プラズマ兵器、電磁波兵器による巨大地震津波攻撃を、世界の闇権力で談合、起こす
・人体をターゲットにした脳と生体を遠隔攻撃する人工知能電磁波兵器による「生体乗っ取り」と「生体拷問攻撃」
・人工知能電磁波兵器による「一般市民マインドコントロール」による「集団ストーカー仕立てあげ」、
といった冷血超兵器の、24時間一秒の休み無い稼働で、国民を武力支配。
どうして彼らが裏の勢力として存在できるのか?その権威を形作る「力」の源泉がどこにあるのか? 問題は、この一点に集約される。
かれらにとって、権力のすさまじい源泉となっているのは、---「ねじれ」そのもの、――― 日本の建国の歴史、天皇家の成立の歴史、における、「うそ、偽り、創作、操作、でっちあげ」、に他ならない。
ここに邪悪な、すさまじい冷血な智慧が入り込んでいる。≫
●『新・日本の黒い霧』ブログ主の日月土さんが、その実在する建国以来の「偽りの建国、密約」を保持する勢力との、実際の『密約と核神殿密造の解除交渉』に入っていた。
その一部の様子、
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/0bdddd6c006548667ec08b9f9605812d
Blue Shank Dragon Rised
2016-06-04 01:07:19 | 連絡用記事
(この記事は連絡用です)
それにしても、日本書紀は嘘ばっかりですね。武内の衆、熊野行者の皆々様、とにかく長い間お疲れ様でした。世間を欺く尊きお役勤めは終わりの時を迎えました。もう嫌な仕事はされなくて結構です。後始末はお任せください。当家大御親様に代わってお知らせいたします。
■まったくあるはずがない
「・人体をターゲットにした脳と生体を遠隔攻撃する人工知能電磁波兵器による「生体乗っ取り」と「生体拷問攻撃」
・人工知能電磁波兵器による「一般市民マインドコントロール」による「集団ストーカー仕立てあげ」」
これには、『新・日本の黒い霧』ブログさんの次の記事がある。
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/2c24ed4fd2564b996d421df05b52fb3a
JAL123便墜落事故-真相を追う-蘇る亡霊(19)
2013-03-26 19:46:46
●誰にでも化ける集スト部隊
●元公安警察官が語る非公然組織
たまたま元公安警察官の方と酒席でお話する機会があり、本件および123便事件に関連する興味深い話を聞いています。要点を箇条書きにすると
(1)警察権力が及ばない非公然組織がある
(2)彼らが最高位権力という訳ではなく、その上もある
(3)その上の権力は皇室をも配下に置く
(4)自衛隊に似せた武装公安とも呼べる組織がある
(5)成田公安は一般の公安とは別組織である
■クロカモの組織構成について考える
http://kenchicjunrei.blog.fc2.com/blog-entry-43.html
日航機123便撃墜事件(結社グループ間の内乱による日米戦争)の再来となった、結社グループ間の内乱による、東日本大地震(地震兵器テロ)と福島第1原発爆発事故(原子炉爆破テロ) ( を抜粋再録)
日本は今もって米国と交戦状態であり、同時に内戦が勃発しているのです。
太平洋戦争の本質とは何か?それは、「陸軍と海軍の戦い」。
もしも米国と戦争を始めなかったら、おそらく帝国陸軍と海軍の間で内戦が起きていたであろう。
日航機123便撃墜事件の主犯「クロカモ」とは、旧帝国陸軍の残党であり、戦後も密かに組織を温存してきた。
旧帝国陸軍と帝国海軍の、ふたつのグループに、さらに、系列として、在日米陸軍と米国海軍・海兵隊と、それぞれの閥グループが加わる。
太平洋戦争終了後に陸軍閥・海軍閥の違いから次のような大まかな対立構造が発生した。
これに在日米陸軍と米国海軍・海兵隊、このふたつのグループに、国際的な勢力と各国軍が参加。
日航機123便撃墜に関わった勢力とは、日本を結節点とした国際対立構造グループとして色分けすると、だいたい次のようになる。
(A) 旧帝国陸軍派(陸上自衛隊)&在日米陸軍
国内財閥系企業&国際金融資本
協力国政府(独・仏・露・中・その他)
※権威
VS
(B) 旧帝国海軍(海上自衛隊)&米国海軍・海兵隊
国内財閥系企業&国際金融資本
米国政府&日本政府&協力国政府(英・他)
昭和天皇(権威)
日航機123便は、相模湾上空、焼津沖上空 墜落現場へ至る上空で、おそらく核ミサイルの攻撃を受け、上記各勢力が派遣した偵察機、戦闘機と一部上陸軍が、日航機123便墜落現場・[高天原] へ至る上空と山地で、激しく交戦し、ほぼ全滅するほどの戦闘をおこなった。それは突然局地的に発生した多国籍が入り乱れての戦争だった。
日航機123便の積荷「核兵器」をめぐって、ただそれだけのため、にこれだけの戦闘が発生したのである。国際闇の核マーケットに、「それ」を流すために、それを阻止するために、突然の、多国籍が入り乱れての世界戦争が局地的に発生した。
その後、国際闇の核マーケットに、「それ」を流すための、旅客機の積荷「核兵器」をめぐって、ただそれだけのために、2014年のマレーシア航空「370便」失踪事件は起こされたのだった。
上記の文で、参照引用した元記事は:
「新・日本の黒い霧」
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6934eb2acb1b27be98f4ab6370af8eb9
■隠された日米戦争
2011-03-14 20:51:04 | JAL123便墜落事故 ( を抜粋引用はじめ)
簡単に言えば、日本は今もって米国と交戦状態であり、同時に内戦が勃発しているのです。
1945年8月、表向き太平洋戦争は終結しました。しかし、これはまさしく表向きのお話なのです。
これまで日航機シリーズで何度も"国営テロ集団"という、国内の秘密組織について述べてきましたが、彼らこそ旧帝国陸軍の残党であり、戦後も密かに組織を温存してきたのです。
そして、彼らと活動を共にしたのは、日本を占領し、そこですっかり豪族化してしまった在日米国陸軍系の組織です。
マッカーサーが何度も米国中央政府と対立したことは有名ですが、その背景には旧日本陸軍との癒着構造があったのです。そして、彼らが、同じ旧陸軍系の流れを組む陸上・航空自衛隊に入り込むのには、それほど困難があったとは考えられません。
■「新・日本の黒い霧」、最新で最後の記事は、一年前のお盆の記事。下記のように、
日航123便の墜落現場に現れた、擬似自衛隊=クロカモの、出で立ちのレポートでした。
その制服の生地の程度、縫製の手抜き具合、など。
新・日本の黒い霧
http://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9eeb1d4d7dc5bd46d041bff6081ff801
JAL123便墜落事故-真相を追う-31年目の真実
2016-08-12 16:14:27 | JAL123便墜落事故 ( を転載はじめ)
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読者の皆様へ
本日は日航機123便が御巣鷹の尾根に墜落し、多数の乗客乗員がお亡くなりになった日です。520名の乗客乗員の他、軍関係者を中心に知られざる多くの命が失われたことが、これまでの調査により判明しています。
墜落推定時刻は18時56分。僅かでよいので、この時刻にお心を御巣鷹の尾根に向けてください。そして二度とこのようなことが繰り返されないようお祈りください。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
ブログ「(新)日本の黒い霧」
管理人 日月土
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31年前の8月12日、私は小型バイクに乗り東京から長野県松本方面に向かい甲州街道を北上していました。夜少し暗くなり始めた頃に目的地に到着したところ、出会った知人からいきなり「日航機が行方不明になったようだ」と告げられました。その晩、知人宅のテレビで事の成り行きを見守ることになるのですが、その時は多く方々と同じように、たいへんな事故が起きたものだと思っていました。
■今でも忘れられない異質な報道
テレビでは、番組中に流れるテロップや臨時ニュースなどで行方不明機の墜落地点が段々と特定されていくのですが、その時に墜落予測場所が2転3転し、情報が錯綜していたのをはっきりと覚えています。日航機関連情報が相次いで報じられる中、今でも忘れることのできない異質なニューステロップが流されました。
「日航機の救助に向かおうとしていた自衛隊員が射殺された」
後にこの報道は誤報として否定されるのですが、救助に向かった自衛隊員が何で射殺されなければならないのか、誤報だとしてもあまりに突飛な話であり、こんな誤報がなされること自体が当時の私には理解不能でした。
■南相木小学校に集結していた自衛隊
同機墜落後も多くの生存者がいたことを証言されたM氏ですが、実はもう一つ重大な事実を証言されています。テレビ報道では未だに墜落地点が判明していなかった頃、M氏はバイクで通りかかった長野県側の南相木小学校のグランドに、自衛隊の部隊が集結しているのを目撃しています。

図1:南相木小学校の位置関係
(赤:南相木小学校、青:墜落現場、楕円:予想主戦場)

写真1:南相木小学校正門
M氏が現場を目指して南相木村の林道終点地点から入山したのが午後9時頃ですから、自衛隊の集結を目撃したのはそれより前ということになります。まさに一般報道で墜落地点が不明だと大騒ぎしていた頃です。
そして、何より不思議なのが、南相木小学校への部隊展開については、公式記録に残されていないことです。
墜落地点も分からない状況下でそこそこの規模の部隊を展開するのは、普通では考えにくいことです。
もっとも、この証言だけではその部隊が日航機の救助が目的だったかどうかも分かりませんが。少なくとも、自衛隊は南相木村の山間部に関わる何か重大な情報を掴んでいたことだけは類推できます。
本ブログでは米国軍・旧ソ連軍が123便事件に絡み現地に展開し、ごく短時間ではあっても交戦状態が発生しただろうとの説をとっています(詳しくは過去記事をお読みください)。
そして、その主戦場となったのは、墜落地点(御巣鷹の尾根)の西側に続く南相木村の山間地域であり、現在は山ごと土砂が取り除かれ、大規模地下施設である東京電力神流川揚水発電所の一施設である南相木ダムとなっている一帯と推定しています。

写真2:現地で回収した米国U-2偵察機の破片

写真3:現地で回収した旧ソ連Mig-25の破片
米ソ共に当時の高等戦略機を配置している。この早い展開は
事前に日航機撃墜計画を探知していたからこそ可能だった?
南相木小の非公式展開部隊は、当初から救助目的などではなく、これら初期戦闘行動に呼応したものであると解釈するのが、最も合理的な説明なのではないかと思われます。
■偽装自衛隊員と生存者への殺戮行為
123便事件関連記事を書いていて、最も気が滅入るのが生存者に対する非道な行為の数々です。その詳細は「闇夜に蠢く者ーM氏の証言」中に示唆されているだけでなく、M氏の証言を裏付けるように、実際に墜落現場で軍用毒ガス瓶を回収していることが全てを物語っています。

写真4:現地で回収した軍用毒ガス瓶
ここで、昨年の記事「あれから30年、真実が語られる時」に掲載した墜落現場での救出作業中の写真を再掲します

写真5:昨年掲載した写真
ここに映っている自衛隊員の襟元に注目してください。

写真6:全員襟のエッジが張っており、襟章が縫い付けられている。
隊服は全員同じように見えます。ところが、次の写真7を見ると、写真5と少し違うことに気がつきます。

写真7:別の隊員の写真
ここでまた襟元に注目します。

写真8:襟元の比較
①の人物は写真6と同じように襟のエッジが張り、襟章が確認できます。②の人物については襟元の確認はできませんが、肩の位置といい、袖の長さといい、服装自体が全く身体に合っていないのがわかります。この隊員は普段からこんな不格好な隊服を着用していたのでしょうか?③の人物については襟章がなく、左側(向かって右側)のエッジが湾曲しているように見えます。

写真9:子供を抱え上げる隊員
写真9は、抱えられた子供がこの時生きていたのではないかとネット上で騒がれたものですが、隊員の襟元に注目すると、襟章はなくエッジのたわみもはっきりと確認できます。

写真10:陸上自衛隊正規品のジャンパー襟元
ここで、全く同じ隊服ではありませんが、比較のために陸上自衛隊正規支給品のジャンパー(写真10)の襟元を見てみます。襟がたわまないよう、襟の裏にしっかりと縫製がなされています。念のため服飾の専門家に、これら以外の写真を含む現場隊員の隊服を見ていただいたところ、明らかに、他と比べ粗雑な縫製の隊服を着た隊員が混じっているとのコメントをいただきました。
これはどういうことでしょうか?私は、あまりに急な出来事だったため、偽装自衛隊員へ正規品の支給が間に合わず、サイズの確認もままならないまま、粗雑な急造品が宛がわれたのだと推測しています。また、隊服が異なる者同士が集団で行動していることから、正規の隊服を着ていたとしても、それが必ずしも正規の自衛隊員であるとは限らないことを意味すると捉えています。
偽装自衛隊員については、123便事件について鋭い分析を著した角田四郎氏の「疑惑」(1993 早稲田出版)に、「大きな石の裏に、着替が詰められた袋が10数人分隠すように置かれていた」という著者本人の証言とも符号します。
では、昼間に堂々と現れたこの偽装自衛隊員は悲惨な墜落現場で何をしていたのか?これについては、M氏の証言に現れた暗視スコープを着用した(見た目)自衛隊員の集団とほぼ同じ目的であっただろうと推察されます。すなわち
(1)不都合な破片の回収と隠蔽
(2)生存者(事件の目撃者)の抹殺
の2点です。認めたくないことでありますが、上記写真が撮影されてることから分かるように、既にマスコミや地元警察、消防団など大人数が現場で活動している最中、彼らは目立たぬよう不都合品の回収や、生存者の抹殺を行っていたと考えられるのです。そうであればこそ、最初は7人と報道された生存者が、最終的に4人となったことにも合点がいきます。そして、その4人(全員女性)は、みな地元消防団員によって発見されています。衆人環視の中でおそらく彼らも手を下せなかったと考えれば、極めて辻褄の合う話です。

写真11:救出された川上慶子さん(当時12歳)。
彼女の周りに写っているほとんどは上野村消防団や機動隊員であり
(偽装)自衛隊員ではない
写真5、7を見れば分かるように、この自衛隊員たちは、右の胸ポケットに隊服が肩からずれ落ちるほど、重く厚みのある長方形様の何かを忍ばせています。私の信頼する筋からは、それが「反応型炭素菌カプセル」との情報を得ていますが、本当に炭素菌かどうかは確認する術がありません。しかし、反応型の有毒物である可能性は極めて高いと考えられます。反応型とは、使用者に害が及ばないよう、また証拠にならないよう、単体ではそれぞれ無害のA剤、B剤を、人体に投入する直前に反応させ、毒物として使用するというものです。
彼らは一人の生存者(事件の目撃者)も残したくなかったはずですから。
■なぜ生存者(事件の目撃者)を抹殺しなければならなかったのか?
常識的に物事を考えるならば、衆人環視の下でリスクを犯してまで生存者を殺戮するなどあり得ないことです。これを逆に考えると、リスクを犯してでも生存者が見たものを絶対に世に出してはならないとする、隠蔽側の強い意志を感じます。
それでは、「世に出してはならぬ秘事」とはいったい何だったのか?日本国内における米ソの軍事衝突?日本政府、警察や正規自衛隊を超越する闇組織(コードネーム「クロカモ」)の存在?それもあるのでしょうが、ここまでやる理由としてはまだまだ弱いと言えます。
私はすでにその答に辿り着いていますが、事件から31年経過した今でもその情報を全て開示するのは時期尚早であると考えています。もったいぶってるようで申し訳ありませんが、その答に至るに必要な予備知識を本ブログ伝えていきますので、ぜひ今後もご愛読のほどをお願い申し上げます。
どうしても答の片鱗が知りたい方は下の写真12をよく見てください。墜落現場で回収した物の一つで、以前にも掲載したのですが、彼らが隠さなければならない何かの意味が、全てこの中に集約しています。

写真12:墜落現場回収物
* * *
本文で偽装自衛隊員という言い方をしましたが、ならば自衛隊は無罪であると言ってる訳ではありません。特別権限を有する超法規組織の言いなりとなり、この世の非道に手を貸したのは隠しようのない事実だからです。日本国民を守るという当初の誓いはいったいどこに消えてしまったのでしょうか?
冒頭で「射殺された自衛隊員」報道に触れましたが、私は、この話が事実であり、そしてこの隊員こそ命を掛けて国民を守ろうとした本物の自衛隊員であると信じたいです。123便事件から31年が経過しましたが、今からでも遅くありません。真実を国民に伝えて欲しい。真実を語り許しを求めるならば、私はその方を全力で守りたいと思っています。
大君の千代よぶたづの一声に御池の鴨も夢さますらむ (昭和十年 貞明皇后)
遠つ祖霊の始りの地より
管理人 日月土
(転載おわり)
== FIN ==